北海道応援サイト!がんばれ北海道!!

神楽岡公園

住所 旭川市神楽岡公園

一般社団法人 旭川観光コンベンション協会

公益財団法人 旭川市公園緑地協会

旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。
神楽岡と言う地名の由来は、アイヌ語の「ナエオサニ」、「ナヨサニ」、または、「ヘッツイウシ」、「ヘツチエウシ」と呼ばれていたのが変化したもの。
国道237号線から道道219号新開旭川線に進み約800mほどの側道を左折し、公園駐車場へ約500mほど。
1913(大正2)年、12月19日丘陵地の公園を建設するため、上川離宮予定地であった神楽岡の御料林を調査する。
1914(大正3)年、4月帝室林野局から御料林のうち14万1300坪を借用し、同年4月4日開園したのが始まりである。
当時は森林のみで公園としての施設はほとんどなかった。

1926(大正15)年には、園路、広場などを造成し、当時の上川神社宮司である柴田直胤がエゾヤマザクラ1000本を寄付し植栽された。面積は40.99ha。
春の花見、夏のキャンプ、や冬の歩くスキーなど四季を通じて、市民の憩いの場として利用されている。
園内の大部分は自然の樹林地であり、遊歩道が整備されている。
数多くの小動物や野鳥が生息し、植物の種類も豊富で、春にはエゾエンゴサク、水芭蕉、桜、コブシが咲きとても綺麗である。


公園内には上川神社があり、境内には、離宮予定地の碑も残されていて、1921(大正10)年、伝世御料地は解除され普通御料地に編入になり、上川離宮の実現は白紙になったそうだ。
他にも、緑の相談所などもある。


福神碑
この碑は、旭川卸売市場関係者が、恵比寿溝を組織して十周年となることを記念して建立したもの。
「福神碑」の題額は、今泉定助。碑文の撰と書は、当時の上川神社宮司である柴田直胤。左には仙台石の副碑があり、組合員、賛助員、発起人名が記されている。
美瑛産の碑石を使い、台座2m、碑石2m余り。
1936(昭和11)年、5月22日建立。


ナエオサニとは、1890(明治23)年、上川離宮建設調査書に「上川離宮造営予定地は、上川郡字ナエオサニをもって適当となす」とある。
ナエオサニの地たるチュプベツ、ビエイの両川にはさまれたる一小丘にして、高さおよそ110尺、老樹うっそう、その東北は絶壁にしてチュプベツ川その前に横たわる」とある。
ナヨサニと言う地名は、北海道庁所蔵の1898(明治31)年版陸地測量部の地図に記されていて、ナエオサニとナヨサニは、「沢が・そこへ・出てくる所」。つまり沢の出口の意であり、ヘッチエウシは、ヘッツイウシが転化したもので、ヘイは歌を聞いて、はやす声であり、「はやし・つけている・場所」で、ヘッチエは、歌舞にあわせて「ヘイツ、ヘイツ」とはやすことであるという。
このように神楽岡の地名は、アイヌ語からこれを意訳して生まれたという。

国道237号とは、旭川市から浦河郡浦河町に至る一般国道で、総距離は259.6km。

道道219号新開旭川線とは、旭川市内を通る一般道道で、総距離は9.5km。

大きな地図で見る
Copyright (C) がんばれ北海道 All Rights Reserved.
inserted by FC2 system