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巨木・森の神様

住所 上川郡美瑛町字忠別

一般社団法人 美瑛町観光協会

上川の由来は、アイヌ語の「ペニ・ウングル・コタン」(川上の人々の集落)を意訳したもの。
美瑛とはアイヌ語の「ピイェ」より転訛したもので「油ぎった川、濁った川」という意味。どの土地を掘っても濁り水が出たことに由来するそうで、開拓者が「ビエイ」と訛って呼んでいたものに「美しく、明朗で王者の如し」という意味の「美瑛」の漢字があてられた。
忠別の由来は、アイヌ語の「チウペッ」(波立つ川、急流の川)の意味。
美瑛町と東川町から、天人峡温泉へ向かう道道213号天人峡美瑛線の途中の忠別川沿いにある。
旭岳、天人峡の分岐点から3.5qほど走ると右手に「森の神様」の案内板があり、その砂利道の林道を400mほど進み進入禁止の案内の手前が駐車場。

巨木「森の神様」は、林野庁が全国の国有林から選りすぐりの巨木を集め選定した「森の巨人たち100選」の一本。
この巨木はカツラで、推定樹齢は約900年、樹高31m、幹周11mほど。
地上2〜3m付近から発生した3本の主木が円形に合体して、ひとつの木になっている。
主幹に当たる部分は既に失われたようで、ひこばえによって樹形を保っている状態。蘖(ひこばえ)とは、樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと。

1998(平成10)年にボランテイア団体が森林整備事業を行った際に、参加した地元小学生が、その大きく神秘的な姿から「森の神様」と愛称がつけられた。


住所的には、美瑛町に属するのですが天人峡温泉に向かう道道沿いにあることからこちらに書いています、ご了承ください。

忠別地区は、部落名である忠別については2説あり、アイヌ語の「チウペツ」(急なる川)「チュプペツ」(太陽の川・旭川の語源となっている)、「チウペツ(東・川)水源が東にある為。どちらも忠別川(忠別岳の北西斜面が源で、白雲岳や旭岳などから支流を集め、天人峡温泉から忠別ダムを経て、旭川市内で美瑛川を合わせ、石狩川へ合流する)を指すものと思われる。
開拓当初は、美瑛から24km、東川から16kmという僻地にあって神楽村所属時代から厄介な存在であった。1913(大正2)年に長野県から20戸が入植。中平八十吉が世話役として奔走した。この年9月に忠別特別教授所を設置する。当時の児童は23人。1915(大正4)年には代田貞四郎が水稲の試作をする。1921(大正10)年11がつには尋常小学校となった。1922(大正11)年矢沢常蔵が永山より苗を買いそれを植え成功している。他にも燕麦、馬鈴薯、菜豆、小麦等の栽培もした。澱粉工場も建設した。忠別川上流域にあり、森林資源は豊富なため、木工場もあった。しかし内陸の深部にあり霜害に悩まされた。
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