北海道応援サイト!がんばれ北海道!!天人峡温泉

天人峡温泉

住所 上川郡東川町天人峡温泉

東川町

上川の由来は、アイヌ語の「ペニ・ウングル・コタン」(川上の人々の集落)を意訳したもの。
東川の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(波のある・川)これを(日・川)と意訳したもので、旭川と同語源である。
天人峡の由来は、1897(明治30)年松山多米蔵が、アイヌの人から滝と湧泉の話を聞き、案内を受けて忠別川をさかのぼり、湧き出る温泉を発見。発見者の名前を取って松山温泉と言った。その後、1936(昭和11)年この地の地名が天人峡温泉と定まり現在に至る。
東川町市街地の道道294号東川東神楽旭川線道道1160号旭川旭岳温泉線の東川町北・南1丁目交差点から道道1160号旭川旭岳温泉線を8.8km、そのまま直進し道道213号天人峡美瑛線を約18kmほど。

上川郡東川町・美瑛町にある温泉で、柱状節理の深い渓谷の底に位置する旭川市の奥座敷である。当時は発見者にちなんで松山温泉と呼ばれていた。
大雪山国立公園内に位置し、近くには七福岩や涙岩・日本の滝百選に選ばれた羽衣の滝、東洋のナイアガラと呼ばれる敷島の滝(現在は近くに行けない)など、景勝地として知られ、大雪山国立公園の登山拠点のひとつにもなっている。


開湯は、1897(明治30)年、松山多米蔵が、アイヌの人から滝と湧泉の話を聞き、案内を受けて忠別川をさかのぼり、湧き出る温泉を発見。
その3年後の、1900(明治33)年、松山多米蔵翁が天人閣の前身にあたる松山温泉を開いたのが始まりで、現在の天人閣である。
かつては、発見者の名を取って松山温泉と言ったが、その後、1936(昭和11)年、この地の地名が天人峡温泉と定まり現在に至る。
ちなみに現在も、松山温泉という地名は残っているが、温泉がそばには無いみたいである。
1954(昭和29)年9月6日には北海道名勝特別天然記念物指定となった。

天人峡地区には、2軒のホテル、旅館が存在する。
源泉温度47〜50℃
泉質、ナトリウム・カルシウム・マグネシウム-硫酸塩・炭酸水素塩・.塩化物泉(含土類.食塩-芒硝泉)
効用、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、痔疾、病後回復期、慢性消化器病、動脈硬化症、慢性皮膚病、疲労回復、健康増進、きりきず、 やけど、慢性婦人病、冷え性、虚弱児童など。
共同浴場などはなく、旅館の日帰り入浴を利用することになる。
「御やど しきしま荘」での日帰り入浴は、12時〜19時まで。料金は大人700円、小人400円。タオル類のレンタルはない。
「天人閣」での日帰り入浴は、12時30分〜17時まで。大人(中学生以上)1000円、小学生500円。タオル・フェイスタオル付き

温泉街の近くには、日本の滝百選にも選ばれた羽衣の滝があり、落差は270mにも達する国内では第3位の滝である。
アイシホップ沢川と双見沢川が滝の途中で合流し、絶壁の7段の段差をつたって流れ落ち忠別川に落下する様は、なんとも美しく見とれてしまう。
忠別とはアイヌ語で、チウ(波のある)・ペッ(川)の意味だそうだ。
羽衣の滝という名前は、大正時代に大町桂月氏が1918(大正7)年に、「千丈の懸崖雲上に連なり、懸崖欠くる処樋飛泉を掛く、相看てただ誦す謫仙の句、疑ふらくは是れ銀河の九天より落つるかと」とあらわし、名づけられたようで天人閣の下に碑がある。当時は夫婦滝と呼ばれていたそうだ。

羽衣の滝の先にはもう一つ大きな滝があり、東洋のナイアガラと称される幅広な敷島の滝が存在する。
温泉街からは散策路が整備されているが、現在通行止めとなっており見ることはできない。

涙岩
天人閣から忠別川をはさんで目の前にあるとても珍しい天然の一枚岩。
岩の隙間から染み出した水が岩肌をつたい。泣いているように見えることからこの名がついた。


少し先に進むと高さ20mの「見返りの岩」が川をはさんで向かい側にある。これらの岩は羽衣伝説から取られたものである。


反対を見ると、あまつ岩などの絶景が広がる。
天人峡温泉街の手前にある高さ100mあまりの柱状節理の壁がある、「羽衣伝説」の天女が、天国に帰る姿にみたてて「天津岩」と名付けられた。
柱状節理とは、マグマが冷却固結する際、収縮し五角形ないし六角形の柱状の割れ目。玄武岩では六角柱ができることが多い。


2010(平成22)年8月24日には、天人峡温泉につながる唯一の道道が土砂崩れで通行止めとなり、宿泊施設4か所で宿泊客と従業員が取り残されたのもニュースになった。その後2013(平成25)年の冬期に発生した土砂崩れにより、滝に向かう遊歩道は通行止めとなっていたが2018(平成30)年6月11日に開通した。


1857(安政4)年、松田市太郎が、上川を探検し、石狩山(現・旭岳)〜キムンクンベツ(東川)を経てオトコマウチ(志比内付近)にて泊まる。
1870(明治3)年、田中鋭次郎らが、上川の郡界調査をする。
1873(明治6)年、米人ワッソンが上川地方の調査をする。
1888(明治21)年、石狩川と忠別川の合流点に「石狩川水測所」設置。
1895(明治28)年、殖民地の課し付けが始まり、香川団体45戸、富山団体25戸、愛知団体15戸、徳島団体11戸などが字忠別原野(現・東川)に入地。その後入地続く。
1897(明治30)年、9月松山多米蔵が、アイヌの人から滝と湧泉の話を聞き、案内を受けて忠別川をさかのぼり、湧き出る温泉を発見。石狩国上川郡旭川村(現・旭川市)から分村、上川郡東川村が置かれ、旭川戸長役場の管轄となる。
1900(明治33)年、東川神社建立。
1901(明治34)年、松山温泉旅館が完成し、営業開始する。松山温泉誕生となる。羽衣の滝発見される。
明治36年、博文館発行の「日本の名勝」詩に「大雪山」の名称が記載される。
1906(明治39)年、東川村・東旭川村組合役場となり、2級町村制施行。
1907(明治40)年、「姿見の池」命名される。
1909(明治42)年、2級町村制施行し、東川村となる。
1913(大正2)年、忠別川発電所運転開始。
1914(大正3)年、阿久津啓吉が勇駒別温泉(現・旭岳温泉)発見する。
1916(大正5)年、勇駒別温泉(現・旭岳温泉)に阿久津啓吉が湯小屋を建設する。
1918(大正7)年、大町桂月が天人峡に訪れ、羽衣の滝と命名する。
1919(大正8)年、1級町村制施行される。
1921(大正10)年、大町桂月が層雲峡から旭岳に登り「登山紀行文」で大雪山の景観を紹介。大雪山を横断し、松山温泉(現・天人峡温泉)に下山する。
1923(大正12)年、松山温泉に忠別渓駅逓所開設される。天人峡、層雲峡縦断登山道の開削。黒岳、旭岳の登山道と山小屋が整備される。旭平、雲の平に石室完成する。
1927(昭和2)年、旭川〜東川西3号まで電車軌道が開通。
1932(昭和7)年、小西清作が竹藪温泉(現・旭岳温泉)を開く。天人峡神社建立。湯駒別神社建立。
1934(昭和9)年、大雪山が国立公園になる。
1936(昭和11)年、大雪館(天人閣の前身)完成。天人峡温泉と名称統一する。
1938(昭和13)年、温泉までの自動車道路完成。
1941(昭和16)年、天人峡温泉株式会社設立。
1942(昭和17)年、忠別渓駅逓所を天人峡駅逓所と改称する。天人峡、トムラウシ、旭岳の登山道改修。
1947(昭和22)年、天人峡駅逓所廃止。
1950(昭和25)年、江卸水力発電所完成。
1951(昭和26)年、羽衣の滝が、北海道名勝記念物に指定される。勇駒別(旭岳温泉)まで道路開削工事開始。
1955(昭和30)年、勇駒別温泉道路開通。
1959(昭和34)年、町制施行、東川町となる。
1966(昭和41)年、旭岳ロープウェイ着工する。
1967(昭和42)年、6月旭岳ロープウェイ運行開始(天女が原まで)。11月旭岳スキー場オープン。
1968(昭和43)年、10月旭岳ロープウェイ全線開通する。
1982(昭和57)年、湯駒別温泉を旭岳温泉に改称する。
1985(昭和60)年、「テラピア養殖施設」が旭岳温泉に完成。
1990(平成2)年、羽衣の滝が日本の滝100選に選ばれる。(東川町史第2巻参考)


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