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養蚕民家

住所 旭川市東旭川町瑞穂1576-1
開館時間 9時30分〜16時30分
休館日 月曜日(月曜が祝日なら翌日)・祝日の翌日・11月〜4月末まで
駐車場 建物前に20台程度

一般社団法人 旭川観光コンベンション協会

旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。
水田が広がる豊田・米原・瑞穂地区は、総称して「ペーパン(米飯)」と呼んでいる。
これはアイヌ語で「ぺ・パン」(水・飲む)と、「ペー・パン・ペッ」( 水・あまい・川)のペッ(pet 川)が略された説の二説がある。もちろんお米づくりが盛んである。昔は「上ペーパン、下ペーパン」と呼んでいたそうだ。上ペーパンのうち21区・北22区・南22区・東22区から成立。瑞穂になったいきさつはわからなかった。
旭山動物園の入り口手前のY字分岐を旭川21世紀の森方面へ、道道295号瑞穂旭川停車場線を約13km左手に看板がある。

建設年 1909(明治42)年 構造 木造2階建
東旭川の米飯(米原・瑞穂)地区は、1898(明治31)年以降福島県人が団体で入植した土地だそうだ。
郷里では養蚕を主な産業としていたこと、開墾前から野生の桑が多く生息し、養蚕に適していたこともあり、入植後全道屈指の養蚕地として知られるほどになった。
最盛期の1919(大正8)年には、310戸になった。
この建物は、福島出身の松浦繁松が建てたもので、他に例のない本格的養蚕民家建築として貴重であることと現存唯一のもので、1973(昭和48)年に旭川市文化財に指定した。
建物内部は、一階座敷部分が二階まで吹き抜けとなって、蚕(かいこ)を飼育するうえに必要な採光・通風・保温を確保するため、二階の縁側や大型の炉・煙り出しなど伝統的な養蚕技術に基づく工夫がなされている。
なお,この建物を長く保存するため,1990(平成2)年から1年かけ解体・復元を行い、萱もそのときに葺き替えられた。


案内板
 東旭川の米飯(米原・瑞穂)地区は、明治31年以降福島県人が団体で入植した
土地である。郷里では養蚕を主な産業としていたことと、道庁の強い奨励策もあ
って、入植後ほどなく全道屈指の養蚕地として知られるほどになった。
 この建物は、明治42年福島出身の松浦繁松が郷里の養蚕民家を模して建てたも
ので、他に例のない本格的養蚕民家建築として貴重であることから、昭和48年3
月19日旭川市文化財に指定した。
 屋根は片あずまと呼ばれる一端が半切妻、もう一端が寄棟の形式で、厚く葺か
れたカヤ、軒の高い構えとあいまって独特の外観を構成している。
 建物内部は、1階座敷部分が2階まで吹き抜けとなっているほか、蚕(かいこ)
を飼育するうえに必要な採光・通風・保温を確保するため、2階の縁側や大型の
炉・煙り出しなど各所に伝統的な養蚕技術に基づく工夫がこらされている。
 なお、この建物を長く保存するため、平成2年から同3年にかけて解体・復元
を行った。
旭川市教育委員会


瑞穂は、1937(昭和12)年〜1963(昭和38)年までの行政字名。豊田・米原・瑞穂地区は、総称して「ペーパン(米飯)」と呼んでいる。これはアイヌ語で「ぺ・パン」(水・飲む)と、「ペー・パン・ペッ」( 水・あまい・川)のペッ(pet 川)が略された説の二説がある。もちろんお米づくりが盛んである。昔は「上ペーパン、下ペーパン」と呼んでいたそうだ。上ペーパンのうち21区・北22区・南22区・東22区から成立。1963(昭和38)年からは、旭川市と東旭川町が合併し旭川市東旭川町瑞穂となる。
 1869(明治2)年蝦夷地を北海道と改称、石狩川筋神居古譚以北を石狩国上川郡とする。1877(明治10)年鈴木亀蔵(通称 亀吉)、上川郡初の和人定住者となり、交易雑貨商をを営む(上川最初の和人定住者)。1886(明治19)年空知太(現・滝川)〜忠別太(現・旭川)まで囚人の労役により上川仮道路開通する。1890(明治23)年上川郡に旭川・神居・永山の三村を置く。1891(明治24)年永山村(現・旭川市永山)に屯田兵400戸入地する。1892(明治25)年8月旭川村(現・東旭川)に屯田兵400戸入地する(下東旭川兵村 第三大隊第三中隊200戸。上東旭川兵村 第三大隊第四中隊200戸入地)。1894(明治27)年クラロマナイ川から延長1200間の灌漑溝を掘る。1897(明治30)年上川郡役所を旭川に移転開庁。字ウシシュベツ(東旭川)を永山村に編入。1898(明治31)年9月東旭川村を置く。上ペーパンに福島県伊達郡大田村(現・伊達市保原町)の三代目村長菊田熊之助を団体長とし、近隣村を含めた128戸が入植したのが始まり。伊達郡は、江戸時代を通じて養蚕業が発展していたこともあり、1909(明治42)年入植者は養蚕農家独特の家をつくった。1900(明治33)年旭川村を旭川町と改称。1903(明治36)年射的山(現・旭山)に稲荷の祠を祀り稲荷山と呼称した。1904(明治37)年屯田兵制度廃止する。5月越中団体10戸、宮城団体数戸移住する。1908(明治41)年5月簡易教育所(現・東旭川公民館 瑞穂分館)を設置する。
 1912(大正元)年国有林字クラロマナイ(現・旭山)、44町歩の払い下げを受ける。1922(大正11)年11月石北線(後の石北本線)旭川〜愛別間開通。新旭川駅・東旭川駅・桜岡駅・当麻駅・愛別駅を新設。
 1929(昭和4)年水神宮の小堂建立する。1937(昭和12)年上ペーパンのうち21区・北22区・南22区・東22区が瑞穂となる。成立時の世帯数は163戸。1947(昭和22)年米原に東旭川村役場出張所が置かれる。簡易教育所を旭川第六小学校に改称し、第一中学校瑞穂分校を併置する。1954(昭和29)年中学校は瑞穂中学校として独立する。昭和20〜28年にかけて23戸入植する。1963(昭和38)年東旭川町と合併し旭川市東旭川町瑞穂となる。1967(昭和42)年旭山動物園開園。昭和43年から昭和47年にかけてペーパンダムの調査が行われる。1973(昭和48)年養蚕民家を旭川市文化財に指定。1974(昭和49)年からペーパンダムの工事に着手する。1983(昭和58)年旭川第六小学校休校。1987(昭和62)年3月旭川第六小学校閉校。
 養蚕民家を長く保存するため、1990(平成2)年から1年かけ解体・復元を行い、萱もそのときに葺き替えられた。1997(平成9)年ペーパンダム竣工する。


1807(文化4)年、近藤重蔵 利尻からの帰途上川地方を探検。上川に番屋が置かれる。
1858(安政5)年、松浦武四郎が上川探検し、アイヌ人306人を確認している。
1869(明治2)年、蝦夷地を北海道と改称、石狩川筋神居古譚以北を石狩国上川郡とする。
1877(明治10)年、鈴木亀蔵(通称 亀吉)、上川郡初の和人定住者となり、交易雑貨商をを営む。
1883(明治16)年、樺戸集治監らによる樺戸郡浦臼太〜上川郡までの地理・地形・水利調査を行う。
1885(明治18)年、岩村通俊永山武四郎一行が上川に入り、近文山より国見をする。
1886(明治19)年、空知太(現・滝川)〜忠別太(現・旭川)まで囚人の労役により、上川仮道路開通する。
1888(明治21)年、上川二等測候所開設する。
1890(明治23)年、上川郡に旭川・神居・永山の三村を置く。笠原喜助(新潟県の出身で笠原喜助・喜八郎兄弟と鈴木亀蔵と共に笠原酒造店を興した旭川の功労者。)によって永山村に笠原酒造店を創業。
1891(明治24)年、永山村(現・旭川市永山)に屯田兵400戸入地する。神居・雨粉で杉沢繁吉が水稲の作付し、1斗5升の収穫をあげた。
1892(明治25)年、8月旭川村(現・東旭川)に屯田兵400戸(下東旭川兵村 第三大隊第三中隊200戸。上東旭川兵村 第三大隊第四中隊200戸)入地する。笠原酒造店が曙に酒造場を始める。
1893(明治26)年、旭川神社社殿竣功。
1894(明治27)年、クラロマナイ川から延長1200間の灌漑溝を掘る。
1897(明治30)年、上川郡役所を旭川に移転開庁。字ウシシュベツ(東旭川)を永山村に編入。旭川警察署開庁。
1898(明治31)年、上川線(後の函館本線)空知太(現・滝川)〜旭川間鉄道開通。旭川駅開業。9月東旭川村を置く。上ペーパンに福島団体移住する。
1899(明治32)年、北海道旧土人保護法公布。菊田熊之助初めて馬鈴薯澱粉製造に着手する。
1900(明治33)年、旭川村を旭川町と改称。
1901(明治34)年、第七師団司令部を札幌より移転。
1902(明治35)年、東旭川に上灌漑溝完成する。
1903(明治36)年、射的山(現・旭山)に稲荷の祠を祀り稲荷山と呼称した。
1904(明治37)年、屯田兵制度廃止する。5月越中団体10戸、宮城団体数戸移住する。初代旭橋完成。
1906(明治39)年、旭川駅〜師団方面の馬車鉄道開通。
1907(明治40)年、4月2級町村制施行。
1908(明治41)年、開村記念碑建立する。旭川電燈(株)(現・北海道電力)が電力供給開始。
1912(明治45)年、レルヒ中佐が、旭川第七師団に訪れスキーを指導し、北海道のスキー発祥となる。
1922(大正11)年、旭川が市制施行。
1929(昭和4)年、第1回慰霊音楽大行進(現・北海道音楽大行進)開催。
1932(昭和7)年、石北線全線開通。現旭橋完成。
1936(昭和11)年、ロータリー完成。
1940(昭和15)年、国策パルプ工業(株)旭川工場操業開始。
1945(昭和20)年、師団通を平和通と改称。
1950(昭和25)年、北海道開発大博覧会開催。
1955(昭和30)年、神居村・江丹別村合併。
1963(昭和38)年、東旭川町合併。
1966(昭和41)年、旭川空港開港、東京便就航。
1967(昭和42)年、旭山動物園開園。小熊秀雄賞創設。
1968(昭和43)年、神楽町合併。第1回小熊秀雄賞授賞式。(毎年実施)
1970(昭和45)年、第1回中原悌二郎賞授賞式。(毎年実施)
1971(昭和46)年、東鷹栖町合併。
1972(昭和47)年、全国初の恒久歩行者天国、平和通買物公園オープン。
1984(昭和59)年、スタルヒン球場オープン。
1993(平成5)年、井上靖記念館開館。大雪クリスタルホール開館。
1994(平成6)年、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館開館。旭川冬まつりのメイン雪像ギネス認定。
1998(平成10)年、三浦綾子記念文学館開館。
1999(平成11)年、雨紛大橋の開通により、旭川環状線全線開通。
2000(平成12)年、4月中核市に指定指定される。道央道の旭川鷹栖IC - 和寒IC開通。旭川北IC供用開始。
2002(平成14)年、永山新川(牛朱別川分水路)供用開始。
2004(平成16)年、7月・8月旭川市旭山動物園の月間入園者数が日本一を記録する。
2005(平成17)年、旭川市科学館を北彩都あさひかわ地区に新築移転。
2006(平成18)年、旭川市旭山動物園の月間入園者数が4ヶ月連続で日本一を記録する。(6〜9月)
2010(平成22)年、旭川駅新駅舎完成。部分開業。鉄道高架化。
2011(平成23)年、旭川駅新駅舎完全開業。
東旭川町史・旭川市史参考
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