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上川郡農作試験所事務所棟(忠別太駅逓)

住所 旭川市神居1条1丁目1番30号
入場料 無料

一般社団法人 旭川観光コンベンション協会

旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。
神居とは、1890(明治23)年、上川郡に旭川・神居・永山の三村を置いたことに由来する。
国道12号と道道90号旭川環状線の交差点から美瑛川河川敷方向に約130mほど側道を進んだところにある。
この建物は、北海道庁が上川郡農作試験場の官舎として建設したもので、1886(明治19)年5月に着工し8月に完成した。
上川郡を訪れる官吏等の宿泊所としての役割も担っていたが、1889(明治22)年駅逓として開設した。
1887(明治20)年、上川道路の築造にあたっていた樺戸監獄所の忠別太出張事務所となり、1888(明治21)年から23年にかけて,建物の一室が上川二等測候所として観測に使用された。
1889(明治22)年には、駅逓として貸与されて一部改修し、8月に忠別太駅逓第一美英舎として開駅した。
上川開発に果たした役割は大きいものがあったが、鉄道の開通などで駅逓の機能も薄れたため、1903(明治36)年に廃止となった。
1966(昭和41)年,旭川最古の建造物として旭川指定文化財となり、1988(昭和63)年、復元工事を行い現在に至る。
この建物は、洋風建築様式が浸透してきた当時の住宅様式を伝えるものとして貴重なものである。

駅逓とは、宿場から宿場へ荷物を送り届けることで、宿(しゅく)つぎ。馬つぎとも言われた。
当時開拓のために北海道にやってくる人や、旅をしている人に宿泊所として使われたり、または人や馬を貸し出したりしていて、北海道独特の制度だったそうで、郵便の仕事も取り扱っていた。
運営には半官半民の請負制がとられ、運営者は取扱人(とりあつかいにん)と呼ばれた。
北海道内には全部で238駅、配置されていた馬の数は2835頭にもなったそうだ。
1946(昭和21)年には制度自体が廃止になった。

国道12号線とは、札幌市から旭川市へ至る一般国道で、総距離は156.8km。

道道90号旭川環状線とは、旭川市内を一周する主要道道で、総距離は21.6km。

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