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北緯45度モニュメント

住所 天塩郡幌延町浜里

幌延町

天塩の由来は天塩川、アイヌ語の「テシ・オ」「テシュオ」(梁(やな)・ある)から。
幌延とは、アイヌ語の「ポロ・ヌプ」(大きい・野原)が「ほろのぶ」と転訛しこれに「幌延」の漢字が当てられ、ほろのべと呼んだ。
浜里の由来は、アイヌ語の「オトンルイ」(沼へ行く道のあるところ)という意味で、漢字で「音類」と書いた。浜里となったのは1959(昭和34)年4月字名の改正からである。
オトンルイ風力発電所から道道106号稚内天塩線を少し北に走ると、浜里パーキングシェルターがある。その手前に数台の車が停まれる駐車スペースとNの形をした金属製のモニュメントがある。道道972号浜里下沼線との交差点から北へ約1.0kmほど。

1988(昭和63)年に幌延町が北緯45度上に存在することから、キャッチフレーズを募り、”北半球「ど真ん中!」北緯45度のまち”が生まれた。以来道道106号稚内天塩線・広域農道・道道256号豊富遠別線・道道121号稚内幌延線・国道40号線・国道275号線にもモニュメントがあるので探してみてほしい。国道238号線沿いにもモニュメントと近くの公園に北緯45度国際広場がある。
浜里地区のモニュメントからは天気が良ければ日本海と利尻山が見え、記念撮影に最高だろう。道の反対側にも看板があるが風化していた。

ちなみに冬は防風柵の向こう側になるので海も見えずモニュメントも見えないなんとも寂しい感じだった。

浜里は幌延で唯一海に面した地区ではあるが、遠浅の海で漁業条件があまり良くなかったこともあり、漁村は形成されなかった。音類の海は天塩の漁場に所属しており、鰊などの漁獲物は天塩の漁業者によって水揚げされ、音類の牧場経営者も副業をしていたようで、鰊、鮭、シジミなどを獲って生活の足しにした。
1948(昭和23)年の緊急入植では、地域を音類地区と浜音地区に分け、開拓地が設置された。音類地区は3.229haで入植者は58戸。多くは山形県の出身者で、浜音地区は750.6haで入植者は102戸、樺太からの引揚者がおおくを占めた。
1977(昭和52)年からはこの地区で砂の採取が行われるようになった。浜里の砂は建築資材用として良質だったこともあり、継続して採取業者が採取申請をだし、砂の採取を行っており、1995(平成7)年には10の業者が砂の採取を行っていたが、自然環境破壊に繋がるとして砂の採取問題は町議会でもしばしば取り上げられるほど社会問題となったほどだ。
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