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浅茅野駅跡

住所 宗谷郡猿払村浅茅野336

猿払村観光協会

宗谷の由来は、アイヌ語の「シヨウヤ」(海獣の止まる磯の丘)この磯の丘にアイヌコタンがあったことから地名にした。他にも、宗谷岬の北にある弁天島は「ソーヤシュマ」(岩礁の海岸にある島)と呼ばれていた。また、「ソ(ショ)・ヤ」(岩礁の多い海岸)と呼び、これらが「ソーヤ」の由来とされている。現在の宗谷は「ウエン・トマリ」(悪い・入り江)というところで、うっかり舟を入れると岩礁で舟を壊すところだった。
猿払の由来は、アイヌ語の「サロプト」(葦(芦)川口)「サラブツ」(葦(芦)原の河口)から転化した。
浅茅野に関しては、猿払村教育委員会に問い合わせたところ、やはりいきさつは分からなかったが、1902(明治35)年に小樽木材会社が猿払事業所を開業し、1907(明治40)年に浅茅野地区を買収する。この頃から浅茅野という名前が現れているようだ。アイヌ語が由来ではない。浅茅野部落の開拓がはじまるのは1913(大正2)年からである。
国道238号線沿い、浅茅野市街地の道道732号上猿払浅茅野線交差点から稚内方向に約400mを左折し、約170m左手。

この駅跡は、JR北海道天北線の駅だった場所だ。天北線の廃線に伴い、1989(平成元)年5月に廃駅となった。
猿払村役場集会所浅茅野交流センターの裏手にホームのみ残存しており、駅名標(レプリカ)が設置されている。

1919(大正8)年、11月浜頓別〜浅茅野間を延伸開業し、山軽駅・浅茅野駅を新設する。
1920(大正9)年、11月浅茅野〜鬼志別間を延伸開業し、猿払駅・芦野駅・鬼志別駅を新設する。
1930(昭和5)年、4月音威子府駅〜浜頓別〜稚内駅間を宗谷本線から線路名を北見線に改称し、天塩線を宗谷本線に編入する。
1961(昭和36)年、4月北見線を天北線に改称する。
1982(昭和57)年、6月貨物・荷物取扱い廃止。交換設備撤去。無人化となる。
1987(昭和62)年、4月国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989(平成元)年、5月全線廃止となり、宗谷バスに転換される。

現在は、周辺の旧天北線跡は浜頓別駅跡から猿払駅跡まで「北オホーツクサイクリングロード」に転用され、延長21.3kmのサイクリングコースとなっている。

浅茅野地区は、開拓当時は上猿払や石炭別(人口が皆無となった)からの原木集積地として栄えた所である。かつては旧営林署や王子製紙の苗畑もあって国鉄( 後のJR北海道)浅茅野駅は貨車積みの基地となっていた。
浅茅野が記録に出てくるのは、1905(明治38)年に中村健太郎他2名に貸付けられ、1907(明治40)年小樽木材会社が農場を開設した。この農場は木材を運ぶ馬の為の飼料を作るのが目的だった。
 1913(大正2)年に浅茅野部落の開拓が始まり、道路の開削、浅羽靖氏が牧場を開設、1914(大正3)年猿払川の氾濫により住民の大半が離れてしまうこともあった。浅羽靖所有の牧場は三菱岩崎弥之助に譲渡する。1915(大正4)年に岩崎男爵家(旧財閥)の所有だった頃に9戸の小作人の入植、岩崎男爵が浅茅野の道路を開削する。1918(大正7)年9月浅茅野神社の創建。1919(大正8)年5月浅茅野地区で山火事が頻繁に起こる。11月浜頓別〜浅茅野間を延伸開業し、木材集積、積み出しの拠点として地域に貢献した。1924(大正13)年8月浅茅野で4日間も山火事が消えなかった。10月には浅茅野駅舎全焼する。1926(大正15)年三菱会社東山農場を王子製紙会社に売る。最盛期には浅茅野館、旭館、増井旅館があったという。
 1930(昭和5)年5月.6月に浅茅野で山火事発生する。昭和に入り木材産業の衰退に伴い、貨物利用も減っていく。1940(昭和15)年11月北見鉱業会社が浅茅野地区の鉱業権を取得する。1941(昭和16)年7月浅茅野炭鉱を開坑する。1942(昭和17)年6月浅茅野郵便局で電話交換事務開始する。11月には徴用朝鮮人労務者120人が浅茅野に来る。12月浅茅野陸軍飛行場の造設工事に着手する。1944(昭和19)年9月浅茅野陸軍飛行場の土地を陸軍省で買収する。1946(昭和21)年浅茅野陸軍飛行場跡地を牧場造成する申請を出す。1953(昭和28)年浅茅野炭鉱が経営困難となり閉山する。1970(昭和45)年12月に浅茅野地区に簡易水道完成する。1976(昭和51)年には中国残留孤児の仲野嗣男一家が浅茅野地区に永住帰国している。1981(昭和56)年仲野嗣男氏の兄である繁郎一家も永住帰国した。1982(昭和57)年には駅が無人化され貨物・荷物取扱いも廃止となる。
 1989(平成元)年、5月全線廃止となり、宗谷バスに転換される。1998(平成10)年7月王子製紙の浅茅野社有林内に「王子の森猿払」オープンする。2005(平成17)年には1942(昭和17)年に徴用された日本人や朝鮮人の遺骨を発掘調査している。その後も18.21.22年と遺骨発掘を行い、浅茅野や猿払村民が協力をした。

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