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抜海岩陰遺跡

住所 稚内市大字抜海村字バッカイ

一般社団法人 稚内観光協会

稚内の由来は、アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」(冷たい水の川・沢)に由来する。
抜海の由来は、アイヌ語の「パッカイ・ペ」(子を背負う・もの)に由来する。抜海市街はずれにある抜海岩が元々の由来であり、アイヌ語の「パッカイ・シュマ」(子負い石)から。
道道106号稚内天塩線沿いにあり、抜海市街地から天塩方向に約260mほど。

抜海市街地のはずれ、別名「抜海岩」とも呼ばれ、高さは 約30mほどの小山がある。
大岩が小岩を背負うように見え、アイヌ語の「パッカイ・ペ=子を背負う・もの」に由来する。
1963(昭和38)年に市教育委員会により発掘調査され、遺跡はオホーツク式土器が大半を占め、擦文式土器と続縄文時代の後北式土器なども出土している。
洞窟付近では、人骨三体も発掘し、獣骨もでた。抜海岩付近〜海岸砂丘からオホーツク系の土器片が、小中学校の裏手の砂丘からは人骨と煙管が出土し、擦文期の高杯型土器も出土した。
岩の下にある海食小洞窟が先史時代の生活の場として利用されていたそうだ。
岩盤が屋根代わりとなり、風雨を避けることができ、また外光が差し込むため、旧石器時代・新石器時代の人類にとって適した居住スペースとなったのであろう。
岩山の横には、抜海神社が鎮座していて、ここにはアイヌの伝説も残されている。


その昔、近くに住む天塩アイヌと宗谷アイヌの間に激しい闘いがあり、劣勢となった天塩アイヌは、礼文アイヌに応援を求めた。
その時、応援に駆けつけた礼文アイヌのワカルパと天塩アイヌのモナシノウクとが恋に落ち、子供をもうけた。
戦いが終わりその後、ワカルパは礼文が恋しくなり一人で礼文へ帰ってしまう。
残された妻子は、ひたすら夫の帰りを待つが、やがて悲しみのあまり大きな二つの重ね岩に化身したという伝説が残っている。

抜海の海は、昔からニシン、ナマコ、ホタテ、タラバガニ、サケなど獲れる好漁場として知られ、明治以前は季節的漁場として人の往来があった。ここに和人が住み始めたのは1871(明治4)年5月漁場を開いた伊達林右門、栖原小右衛門が浜に保食神を祀ったとあり、このころだろうと推測される。
1875(明治8)年5月樺太千島交換条約調印により、樺太アイヌが宗谷への移住を企画され、9月〜10月にかけて841人のアイヌの人達が到着した。アイヌの人びとは12ヶ所に分散させられ、抜海には10戸、99人が落ち着いた。冬も近いこともあり家を早々に作り、海でサケを獲り、山野で野草などを獲り冬に備えた。ひと段落して生活に入った矢先、翌年には対雁に強制送還させられた。

1886(明治19)年には花谷太郎左門が入植する。1892(明治25)年油谷栄太郎、足立房松、木下文蔵、辻井佐太郎、石川喜平、荒川徳太郎が入植する。この年ニシン網漁が行われる。
1897(明治30)年には夕来駅逓所が設置されたが、抜海以南には人家はなく、猟期が終われば閑散とし、駅逓取扱人と逓送人の他はまれに旅人が往来した。その後クトネベツ(抜海村クトネベツ)や勇知にも入植者が増え、抜海は物資の集散地として開けていくのである。
1907(明治40)年からは大農場開拓が始まり、西岡、有田、池田、森尾農場などが開設されている。
1900(明治33)年、宗谷郡稚内村、抜海村、声問村の区域を稚内村と称し1級町村制施行。
1924(大正13)年、6月天塩線を天塩南線に線名を改称する。天塩北線(後の宗谷本線)の稚内(初代)〜兜沼間が開業し、抜海駅、勇知駅、兜沼駅を新設する。
宗谷管内で唯一の不凍港である抜海魚港は、1951(昭和26)年には第二種に、1973(昭和48)年には第四種漁港に指定され、逐次整備され、流氷対策のフェリー発着場として稚内港の副港的役割担っている。
1582(天正10)年、松前藩領となる。
1685(貞享2)年、松前藩、宗谷場所を開設。
1706(宝永3年)年、 村山伝兵衛、宗谷場所を請負う。
1781(天明元)年、宗谷に厳島神社建立。(現・内市宗谷村宗谷、宗谷歴史公園内)
1785(天明5)年、幕府の樺太探検隊長庵原弥六一行、宗谷で越年するも、翌年3月に病死する。(墓碑現存)
1787(天明7)年、フランスのラ・ペルーズの艦隊が世界周航の途中、宗谷海峡を通過、樺太が島であることを確認。
1789(寛政元)年、最上徳内らが宗谷を巡視。
1801(亨和元)年、奉行松平忠明、宗谷を巡視し、台場を築く。
1806(文化3)年、遠山金四郎、村垣左太夫樺太を巡視して宗谷に滞在。
1807(文化4)年、幕吏近藤重蔵ら宗谷を巡視。宗谷場所幕府直轄領となる。津軽藩宗谷警備に付くが、多くの藩兵が水腫病で亡くなる。
1808(文化5)年、間宮林蔵ら、樺太探検のため宗谷を出帆。
1821(文政4)年、宗谷場所、松前藩領になる。
1846(弘化3)年、松浦武四郎が声問に立ち寄る。
1855(安政2)年、宗谷場所、再び天領となる。秋田藩が宗谷警備を行う。
1856(安政3)年、松浦武四郎ら、樺太調査のため宗谷を出帆。
1858(安政5)年、松浦武四郎が声問川を遡り踏査。
1859(安政6)年、宗谷、秋田藩の領下となる。
1869(明治2)年、宗谷、開拓使に属す。
1870(明治3)年、宗谷、金沢藩に属す。
1872(明治5)年、宗谷支庁設置、開拓判官大山重が主任となる。
1873(明治6)年、宗谷支庁を廃し、留萌支庁の管轄となる。
1875(明治8)年、宗谷に開拓使出張所を置く。樺太千島交換条約締結。樺太原住民841名を稚内に移住させる。
1876(明治9)年、宗谷郵便局を設置。
1879(明治12)年、宗谷に郡役所が置かれ宗谷郡となる。宗谷村に戸長役場設置し稚内市の開基となる。
1885(明治18)年、宗谷村尻臼に灯台設置、日本郵船会社小樽・稚内間に定期航路を開く。
1888(明治21)年、宗谷郵便局を稚内郵便局に改称。郡役所、戸長役場、警察署、郵便局など、その他諸官公庁が稚内に移転する。
1889(明治22)年、公立稚内簡易小学校(現・稚内中央小学校)を開設。
1897(明治30)年、郡役所を改め、宗谷支庁を開設。
1900(明治33)年、宗谷郡稚内村、抜海村、声問村の区域を稚内村と称し1級町村制施行。
1901(明治34)年、稚内村を稚内町に改める。
1906(明治39)年、小樽、稚内、樺太定期航路を開設。
1911(明治44)年、山火が延焼し、稚内町724戸・宗谷村71戸・その他諸官庁、学校、病院等消失する。
1913(大正2)年、秋田木材会社が声問発電所を設置し、稚内にはじめて電灯がともる。
1921(大正10)年、声問石油鉱場設立。
1922(大正11)年、11月鬼志別〜稚内(現在の南稚内)間を延伸開業。宗谷線(天北線)開通。11月宗谷線を宗谷本線に改称。
1923(大正12)年、稚泊連絡船運行開始。
1924(大正13)年、北見線開通(現・宗谷本線)、稚斗連絡船運航開始。
1926(大正15)年、稚泊連絡船対馬丸ノシャップ沖で座礁。9月天塩線(音威子府〜幌延〜稚内間)全通。
1928(昭和3)年、12月稚内〜稚内港間を延伸開業。稚内港駅開駅(現・稚内駅)。
1930(昭和5)年、4月天塩線を宗谷本線に編入し、音威子府〜浜頓別〜稚内間を分離し、北見線(後の天北線)に改称。
1937(昭和12)年、稚内測候所を設置。
1939(昭和14)年、2月稚内駅を南稚内駅に改称(同時に稚内港駅を稚内駅に改称)。
1942(昭和17)年、北海道配電会社、声問火力発電所設置。
1945(昭和20)年、樺太居留民引揚船稚内に入港。米軍稚内に進駐。
1949(昭和24)年、稚内市制施行、稚内市となる。
1955(昭和30)年、2月宗谷村を編入する。
1956(昭和31)年、稚内空港建設工事着手。
1957(昭和32)年、稚内測候所気象台に昇格。
1959(昭和34)年、稚内空港開港。曲淵稚内炭鉱閉山を宣言。
1960(昭和35)年、南極観測樺太犬記念碑建立。
1961(昭和36)年、4月北見線を天北線に改称。
1963(昭和38)年、氷雪の門、九人の乙女の像建立。
1964(昭和39)年、三井沢宗谷炭鉱閉山
1965(昭和40)年、稚内新駅舎完成。
1968(昭和43)年、ノシャップ寒流水族館開館。
1971(昭和46)年、ノシャップ米軍基地閉鎖発表。
1973(昭和48)年、稚内空港定期便就航。
1974(昭和49)年、利尻礼文サロベツ国定自然公園が利尻礼文サロベツ国立公園となる。青少年科学館完成。
1975(昭和50)年、郷土資料館設置。
1978(昭和53)年、にしん資料館完成。稚内沖海底石油ボーリング開始。
1979(昭和54)年、船員保険保養所「宗谷パレス」完成。
1980(昭和55)年、日ソ友好会館完成。探検家間宮林蔵の立像建立。東洋一を誇る稚内港北防波堤ドーム全面改築工事完成。
1982(昭和57)年、宗谷岬展望台完成。
1983(昭和58)年、大韓航空機撃墜事件発生。宗谷黒牛の生産を開始する。
1984(昭和59)年、2月天北線全線の貨物営業を廃止。
1985(昭和60)年、大韓航空機事故の祈念碑「祈りの塔」完成。
1987(昭和62)年、稚内空港がジェット化。
1988(昭和63)年、世界平和の鐘、子育て平和の鐘が宗谷岬平和公園に設置。「動物ふれあいランド」が空港公園に完成。
1989(平成元)年、5月天北線廃止に伴い、代替輸送バス運行開始。そうや竜ふるさと歴史館完成。
1991(平成3)年、宗谷丘陵展望休憩施設「ゲストハウスアルメリア」完成。
1992(平成4)年、映画「南極物語」で主役の樺太犬を演じた、犬のタロが死亡。声問川大曲遺跡の発掘調査開始。
1994(平成6)年、大沼野鳥観察館完成。
1995(平成7)年、サハリン定期航路就航(稚内港〜コルサコフ(旧大泊)間)。
1998(平成10)年、風力発電施設稼動。「タロ・ジロ里帰り展」開催。
1999(平成11)年、サハリン定期航路再開。
2000(平成12)年、サハリン州考古学者ら15名、丸木舟で宗谷海峡横断。富士見地区の石油天然ガス基礎試錐「チカップ」本格的な掘削開始。
2004(平成16)年、宗谷丘陵の周氷河地形が北海道遺産に認定される。
2005(平成17)年、国内最大規模の風力発電「宗谷岬ウィンドファーム」(57基)が稼動開始。
2007(平成19)年、稚内メガソーラー実証実験施設の起工式挙行。稚内副港市場開業。ラ・ペールズ顕彰記念碑が建立される。
2008(平成20)年、国際・国内フェリーターミナル完成。
稚内市史、稚内市史第二巻参考

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