旧花田家番屋

住所 小平町鬼鹿広富
TEL
1905(明治38)年頃、花田伝作氏によって建てられもので、現在は道の駅「おびら鰊番屋」を併設し、通年公開されている。
このとき建造した花田家番屋は、全て地元の山から材木を切り出し、船で運び製材されたもので、道内に現存するもので、最大の規模を有し、ニシン番屋の代表ともいえるだろう。


最盛期には、船倉、米蔵、網倉など100棟以上の付属施設が建ち並んでいて、汽船の輸送業や牧場、18ヶ統の鰊定置網を経営する道内屈指の鰊漁家で、500人以上を雇っていたというからすごい。
ニシンは、春告魚とも呼ばれ海藻に産卵するため海岸に押し寄せ、雄の精液で海面が乳白色に染まる現象をニシン群来(クキ)と言っています。
北海道の日本海側で彼岸ころから八十八夜ころまで見られ、近年その姿はほとんど見られず、最近では小樽などでクキの確認と言うニュースもありましたね。
明治、大正から昭和20年代までは、大規模なクキがあったそうで、昭和30年代以降はパッタリ群来(クキ)がなくなってしまったと言われて久しいのです。
1897(明治30)年、ニシン漁は、97万3000トンの史上最高を記録しているほどで、ニシン漁は、北海道の漁業総生産額の7割を占めるほど盛んでした。
網元たちは、定置網を仕掛け、数百人のやん衆を雇って漁をしました。その住居兼漁業基地として建てたのが、ニシン番屋である。


網元の住居部分は帳場、金庫の間に客間2室、女中部屋、扉に色ガラスをはめた洋風便所など当時としては、贅(ぜい)を尽くした作りとなっている。




最盛期にはニシン群来があると、やん衆は舟を漕(こ)いで定置網に取り組み、地元の女性や老人、子供までニシンを背負い籠(かご)で背負って運んだという。村を挙げての大仕事であったのは言うまでも無く。


重要文化財の指定とともに小平町がこれを買い取り、3年の年月と約1億9千万円の費用を投じて解体修復したもので、古民家建築物鰊番屋の代表的遺構である。
やん衆の持ち物などを置いていた寝床の下の空間には、網などの漁具類やニシンを運ぶもっこなどを展示しているが、これも花田家のものではなく、ほかで使っていたものだ。


昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定。
道の駅「おびら鰊番屋」に、券売機があります。
大人  350円    小・中学生100円
番屋で貰えるパンフレットです。


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