史跡(舟付場)

住所 上川郡剣淵町東町

屯田兵制度最後の屯田兵が明治32年7月に家族と共に、剣淵町、士別に3個中隊入地した。
屯田兵を剣淵・士別に迎え入れるため兵屋の建築にかかろうとしており、道路も建設されつつあった。
和寒までは建設列車を利用していたが、それ以北は、原始林や熊笹の生い茂る中を歩いてたどり着いたとある。
しかし、天塩川下流はまだ原始のままでアイヌの世界であり、地名の「美羽烏」は、アイヌ語で「ピパカルウシ(貝殻をいつもとる所)」からきた。
剣淵の入り口、美馬烏の旧河川跡に「船付場」が史跡として残っている。
この場所は、元東剣淵小学校の北側で、現在の国道40号線ぞいにある。
この舟付場その後の道路開削や鉄道の敷設によって役割を終えたが、その時期については定かではないそうだ。
看板はあるものの、降りる道もなく、国道から看板だけが見える。そばには道の駅があるので、そこに駐車するのが望ましい。


大きな地図で見る


Copyright (C) がんばれ北海道 All Rights Reserved.
inserted by FC2 system