北海道応援サイト!がんばれ北海道!!

動物ふれあいランド

住所 稚内市声問村恵北(稚内空港公園内)
TEL 0162-26-2565
開設期間 4月29日〜9月30日
営業時間 11時〜16時  日・祝日 10時〜16時
定休日 毎週月曜日(月曜日が休日の場合火曜休園)
入園料 無料
駐車場 無料

稚内観光協会

稚内の由来は、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ、「冷たい水の流れる沢」という意味である。
声問の由来は、アイヌ語の「コイ・トェ・イ」(波が切る所・または波が崩す所)に由来する。アイヌは大沼(シュプントー)から上流を「シ・ペッ」(本流の川)、下流部は「トー・パロ」(沼の口)と呼んでいた。声問川は稚内市内を流れ宗谷湾に注ぐ二級水系河川である。また江戸時代はこの声問をクシャフ=クチャ・プッ(狩小屋・川口)と呼んでいたそうだ。
恵北の由来は、アイヌ語の「マク・ウン・ペッ」(奥に・入る・川)で幕別と呼ばれていたが、恵北になったいきさつは分からなかった。
国道238号線道道121号稚内幌延線の声問4丁目交差点を稚内空港方面に約1.9kmを左折し約450m左手。

この施設は、自然の中で動物とふれあいながら楽しめる憩いの場であり、南極物語に出演した、タロ(ジロ)が最後まで暮らした場所である。
この敷地内の片隅には二匹のお墓もあり、この墓の裏は水芭蕉の群生地となっており、5月初旬〜中旬には真っ白な水芭蕉の花に取り囲まれたお墓を見ることができる。


他にも、アヒル・うさぎ・にわとり・七面鳥・モルモット・ヤギなどがいるミニ動物園と、約6千平方メートルのドッグラン、休憩施設と遊具があるゲストハウス「トナカイ」があり、家族連れと愛犬が一緒に楽しく過ごせる施設。


1956(昭和31)年、3月日本が初めて南極観測に参加するとき、40頭ほどの樺太犬が集められ、ここ稚内公園に樺太犬訓練所が設置され、犬ぞり訓練を開始する。
1956(昭和31)年、11月第1次南極観測隊隊員が(22頭の樺太犬、タロ・ジロを含む)東京湾より南極観測船「宗谷」で南極へ出発する。
1957(昭和32)年、1月昭和基地に到着すると、19頭の犬たちは第1次越冬隊において犬ぞり曳きなどに使役された。2月15日病気や怪我による3頭を宗谷にて帰国させる。越冬中に2頭が病死、1頭が行方不明となったが、また雌のシロ子はジロなどとの間に10頭の仔を産んだが2頭死亡。
1958(昭和33)年、2月宗谷が南極付近に到着、昭和基地にいる第1次隊員と入れ替わる第2次越冬隊を乗せていた。しかし、悪天候から宗谷は昭和基地には到着できず、越冬隊の収容は困難を極め、急変する気象に人命の危険を感じ、第2次越冬隊の派遣は断念され遂にタロ・ジロを含め15頭の樺太犬は南極基地に置き去りとなったのは2月24日。シロ子と生まれたばかりの子犬8頭は宗谷に収容され、日本へ帰還することができた。7月には大阪府堺市に15頭を供養する、樺太犬慰霊像が建立され、南極越冬隊員らが参列して盛大な供養が営まれた。
1959(昭和34)年、1月第3次越冬隊が昭和基地に2頭の犬が生存していることを確認しタロ・ジロであることがわかった。基地には7頭の犬が首輪に繋がれたまま死亡、他の6頭は行方不明。タロとジロの生還は日本中に衝撃と感動とをもたらし、元飼い主に沢山の祝電が届いたという。
1960(昭和35)年、1月第4次越冬隊に11頭の樺太犬が参加することとなり樺太犬15頭となる。7月稚内公園頂上に「樺太犬訓練記念碑」建立。7月第4次越冬中にジロが昭和基地で病死。
1961(昭和36)年、5月タロは第4次越冬隊と共に日本に帰国。他の樺太犬14頭も帰国、飼い主や樺太保存協会に移管する。10月南極観測に参加した樺太犬の霊を慰めるために稚内公園上に、「南極地域学術観測隊樺太犬供養塔」が完成し除幕される。
1970年(昭和45)年、8月タロ、老衰のため14歳7か月で死去。北海道大学植物園で剥製として展示され、ジロの剥製は東京・上野の国立科学博物館に置かれている。

Copyright (C) がんばれ北海道 All Rights Reserved.
inserted by FC2 system