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浜頓別町郷土資料館

住所 枝幸郡浜頓別南2条1丁目
TEL 01634-2-4666(多目的アリーナ)
開館期間 希望者のみ開館(要事前連絡)
料金 無料

浜頓別町観光協会

枝幸(えさし)の由来は、アイヌ語の「エサウシ」(岬)から。
浜頓別の由来はアイヌ語「トー・ウン・ペッ」(湖沼に入る(行く)川)。「頓別川」からできた名前で、当時はトンベツと呼ばれ頓別川に河口に集落があった。1878(明治11)年には枝幸郡に枝幸、頓別、歌登、礼文の4ヶ村が設けら漢字が当てられる。1909(明治42)年に2級町村制施行により頓別、歌登、礼文、枝幸が枝幸村に併合となる。1916(大正5)年枝幸村(現・枝幸町)より分村し、2級町村制施行。頓別村となり役場を設置する。1918(大正7)年8月天北線の中頓別〜浜頓別間を延伸開業。下頓別駅・浜頓別駅を新設。駅名を「浜頓別」にした、以来この一帯を浜頓別と呼ぶようになる。1951(昭和26)年頓別村を浜頓別町と改め町制施行。
国道275号線道道84号豊富浜頓別線の中央北・南交差点から稚内・枝幸方向に国道275号を約120mの交差点を右折し、約130m左手。

1996(平成8)年に農協より譲渡を受け、内部の改修などを行い郷土資料館として1998(平成10)年開館した。面積184.8平方m(約56坪)で、1930(昭和5)年に浜頓別信用販売購買組合(現・農協)の倉庫として建設された。
私は、2〜3度ほど訪問をした。事前に連絡はしたものの縁が無かったのか、土日だったこともあり開けてはもらえなかったので外観だけの撮影です。
展示は、農具、魚具などの生活用具、砂金掘の資料(道具など)、天北線関連の写真や看板、石器類などの考古資料などを約3,000点収蔵・展示している。

そばには道の駅 北オホーツクはまとんべつもある。

浜頓別地区は、当時はトンベツと呼ばれ頓別川河口に集落があった。鉄道建設以前は浜頓別の地名は無く、人家も2〜3戸ほどしかなかった。駅前通りの辺りは森林地帯であり、菅野栄助(彼の功績が無ければ現在の浜頓別は違う形になっていたかもしれない。菅野氏は駅前通りに当たる場所を売り、鉄道用地・市街地形成の道路用地など約10万坪の土地を寄付した。鉄道の予定線が上頓別を経て頓別川沿いに常盤付近から小沼の裏手を通り浅茅野に出る計画だったことから頓別村で変更運動が行われたのである)氏の牧場だった。1875(明治8)年5月カナ地名を漢字地名に改める。1878(明治11)年には枝幸郡に枝幸、頓別、歌登、礼文の4ヶ村が設けら漢字が当てられる。1898(明治31)年頓別原野6線まで約500町歩の植民地区設定される。1900(明治33)年9月頓別駅逓所に官馬と手当支給される。頓別原野39線まで植民区画設定する。1909(明治42)年に2級町村制施行により頓別、歌登、礼文、枝幸が枝幸村に併合となる。1911(明治44)年9月頓別原野6線に頓別川渡船場開設する。頓別原野14線まで植民道路を開削する。鉄道予定線測量に着手する。
 1912(大正元)年7月頓別原野駅逓所開設する。取扱人は近藤勝之助。1916(大正5)年枝幸村(現・枝幸町)より分村し、2級町村制施行。頓別村となり役場を設置する。12月頓別沿岸に高潮あり、家屋、商品流失、市街(現在の浜頓別町頓別)の大半が被害を受ける。1917(大正6)年浜頓別にて栗沢農場経営の為長縄辰次郎が移住する。頓別〜浜頓別間の道路開削する。1918(大正7)年浜頓別特別教授所開設。8月天北線の中頓別〜浜頓別間を延伸開業。下頓別駅・浜頓別駅を新設。駅名を「浜頓別」にした、以来この一帯を浜頓別と呼ぶようになる。高潮と鉄道が出来たことにより、分家の形であった浜頓別の方に人口増加が顕著となる。1919(大正8)年山火事で浜頓別市街312戸、木材7万石焼失。11月浜頓別〜浅茅野間を延伸開業し、山軽駅・浅茅野駅を新設する。菅野栄助と村民の篤志により頓別神社を造営する。祭神は大山祇神である。1920(大正9)年1月菅野栄助が家屋を村に貸して浜頓別特別教授所を設置する。10月浜頓別郵便局開局。12月頓別水電株式会社が、宇曽丹川にて水力発電所建設し、浜頓別、下頓別、中頓別市街に送電する。1922(大正11)年1月頓別村役場庁舎新築落成する。1923(大正12)年浜頓別〜頓別間の乗り合い馬車運行される。浜頓別〜枝幸間の発動機船運行する。
 1927(昭和2)年6月浜頓別神社拝殿上棟式挙行。1932(昭和7)年10月頓別駅逓所廃止となる。1933(昭和8)年6月興浜北線の第一工区(浜頓別〜斜内間)が起工する。1936(昭和11)年7月浜頓別〜北見枝幸間を興浜北線として開業し、豊牛駅・斜内駅・目梨泊駅・問牧駅・北見枝幸駅を新設する。9月浜頓別神社建立する。1944(昭和19)年1月興浜北線全線を休止し、全レールが撤去される。1945(昭和20)年12月政府への復旧陳情が行われ認可がおり、興浜北線全線の営業を再開する。1951(昭和26)年頓別村を浜頓別町と改め町制施行。1958(昭和33)年浜頓別市街大火(35戸全半焼)。1985(昭和60)年7月興浜北線全線を廃止し、宗谷バスに転換される。
 1989(平成元)年JR天北線廃止。頓別小学校校舎新築落成。1998(平成10)年郷土資料館オープン。
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