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幌延 東ヶ丘スキー場

住所 天塩郡幌延町幌延106-1
TEL 01632-5-1620
営業期間 12月下旬〜3月中旬
営業時間 火・木・日・祝日は、10時〜16時30分。水・金・土は、13時〜20時30分(ナイターの16時30分〜18時までは、ゲレンデ整備等の為リフトの運行はナシ)
定休日 月曜日、祝日の翌日(土・日曜日の時は除く)、12月31日〜1月3日
1日券 小人510円、大人1030円
駐車場 無料、50台程度

幌延町

北海道索道協会

天塩の由来は天塩川、アイヌ語の「テシ・オ」「テシュオ」(梁(やな)・ある)から。
幌延とは、アイヌ語の「ポロ・ヌプ」(大きい・野原)が「ほろのぶ」と転訛しこれに「幌延」の漢字が当てられ、ほろのべと呼んだ。
幌延町市街地の道道645号上問寒幌延停車場線道道121号稚内幌延線との交差点を浜頓別・豊富町方向に約400m進み交差点を左折し約400mほど右手。

東ヶ丘スキー場は、1992(平成4)年に開設されたスキー場で、幌延町市街地から徒歩圏内で行ける小さなスキー場である。
値段もリーズナブルで近郊からもスキーヤーが集まり、週末は子供たちで賑う。
最上部の標高は56mと長いコースではないが、リフト側から上級者コース最大斜度22度・平均斜度15度・距離230m。中級者コース最大斜度20度・平均斜度13度・距離250m。初級者コース最大斜度15度・平均斜度13度・距離325m。コースは3本。
リフト沿いはやや急斜面で、リフトを離れると緩斜面になるのだが境目はない。リフトは1基。


休憩施設は、スキー場ロッジがあるが食事は幌延市街地か近くにあるトナカイ牧場内にあるレストランを利用するのがいいだろう。

幌延は、1878(明治11)年10月天塩国に沙流(現・豊富)・幌延・天塩・遠別を置いたことに始まる。もとは幌延村の一部。ウブシ・下サロベツなどから。江戸期にはヲトンルイ・コヱトイなどの地名がみられる。1857(安政4)年松浦武四郎が天塩川を遡り天塩国、上川郡、中川郡を踏査する。旧暦6月7日天塩出発、9日ホロビリブト(パンケ築堤下流)に1泊、10日アベシナイに1泊し美深方向に向かう。
 1869(明治2)年8月蝦夷を改め北海道と名づけ開拓使を設置。11国86郡を設定し、天塩国に上川・中川・利尻・天塩・苫前・焼尻の6郡を定め水戸藩が支配する。幌延は天塩国天塩郡に属する。1882(明治15)年札幌県、天塩戸長役場に属する。1886(明治19)年北海道庁の所管となる。苫前戸長役場天塩派出所に属する。1888(明治21)年道庁技師内田瀞がトイカンベツ(現・問寒別)、ウブシ(産士)原野の殖民地選定実施する。1890(明治23)年10月東京の岩谷松平が大曲付近左右419万6500坪の貸付を受ける。1895(明治28)年の世帯数は3戸、13人。1899(明治32)年下サロベツ原野に福井団体15戸入地するも寒さが厳しくほとんどが去ってしまう。5月佐藤周造ら60戸が上幌延に入植する。ほとんどが去るが定着者12戸が残る。9月本願寺(下サロベツ原野に289万1552坪貸付許可される)、天塩(関谷和三郎がオノブナイ原野117万8020坪貸付許可される)、11月法華宗(古谷日新外5、ウブシ原野243万3498坪の貸付許可される)の各農場設置する。 1900(明治33)年法華宗農場に小作農90戸、357人入地する。目黒常吉ら32名が法華宗農場に入植する。9月山田権左衛門が下サロベツ100万坪を借り受けて入植し、山田農場を経営する。法華宗農場に私学校を設置する。1901(明治34)年瓦木萬槌が大曲に瓦木商店を経営する。6月曽根恒右衛門ら90戸が法華宗農場に入植する。藤井竹次郎らが入地する。かつての区画は雑然としていたが4月字名の改正を行った際に、幌延駅を起点とし、東西に走る道道645号上問寒幌延停車場線を境とし、北へ北1丁目・北2丁目、南へ南1丁目・南2丁目とし、北から来る道路を1条通りとして東へ6条通りまでと定めた。役場がある宮園町は、幌延神社あたりをいい、字名改正時に生まれた。栄町、東町も、字名改正時に生まれたものである。旧市街は当時大曲と言われていたが、字名改正時に元町となった。1902(明治35)年4月法華宗農場の私学校は幌延簡易教育所(上幌延)となる。6月大曲農場の管理人である西田三郎が入植する。1903(明治36)年本願寺農場(大曲農場)主任である西田三郎の発起により私学校を建設(幌延小学校の前身)する。梅村庄次郎が12戸と共に兜沼へ入植する。7月オトンルイ駅逓所設置する。本願寺農場は、1911(明治44)年には箕浦武一の所有となったが、箕浦(滋賀県出身)が幌延に移ったのは1913(大正2)年4月で、それ以来箕浦農場と呼ばれた。この農場には大曲市街地も含まれていたため、学校敷地や駅逓敷地は箕浦氏より寄贈された。駅付近も箕浦氏の土地だったようで、この農場は武一の娘である千鶴子の夫村上秀雄に譲渡され、戦後の農地改革で30haほど買収されている。
1904(明治37)年大曲農場に20戸入植する。1906(明治39)年5月本願寺の吉倉昌光、長門勇輔、藤田永太郎らにより、本流(日曹礦業所)の炭礦試掘する。1907(明治40)年4月愛知団体トイカンベツ原野に31万5175坪の貸付を受けて入地する。下サロベツ駅逓(山田)設置する。久保善蔵が下エベコロベツ(現・幌延町北進)に入植する。11月源長佐吉、留萌藤山から下エコロベツに入植する追分に八幡神社建立する。世帯数は339戸、934人。1908(明治41)年大曲の旧役場付近に15坪程度の幌延炭礦の事務所を構える。この当時日曹で掘られた石炭は、冬に馬で大曲まで運び、夏季に長門船で天塩に運搬していた。これに伴い大曲では賑わいを見せ、郵便や為替取扱も増加し、同年、上幌延の郵便局が大曲に移転しているが、炭礦は翌年閉鎖している。1909(明治42)年炭礦は閉鎖されたが4月幌延村外1ヶ村戸長役場が大曲に設置される。兜沼に官設駅逓設置される。取扱人は梅村庄次郎。5月下沼付近で大火発生し駅逓焼失する。幌延炭礦閉鎖となる。1910(明治43)年6月新田深志ら岩手団体20戸入地する。1911(明治44)年赤松小太郎が入植し、官設駅逓大曲の取扱人となる。1912(明治45)年5月エベコロベツ(現・幌延町北進)に秋田団体入植する。下沼の山田権左衛門宅に郵便継立所を設ける。官設駅逓下沼に開設する。
 1913(大正2)年問寒別8線にトイカンベツ駅逓設置する。取扱人は有井加代太。1914(大正3)年天塩線(後の宗谷本線)の稚内〜音威子府間が着工する。問寒別で吉田鉄治が澱粉工場を始める。1919(大正8)年2級町村制を施行する。幌延と沙流を合わせて幌延村とする。世帯数は936戸、5247人。1923(大正12)年11月手塩線の誉平〜問寒別間が延伸開業し、宇戸内駅、問寒別駅を新設する。大正に入り材木の搬出などもあり大曲市街は活気ついた。1925(大正14)年7月天塩南線の問寒別〜幌延間が延伸開業し、雄信内駅、安牛駅、上幌延駅、幌延駅を新設。1926(大正15)年9月天塩南線の幌延〜兜沼間が延伸開業し、下沼駅、豊富駅、徳満駅、芦川駅を新設する。音威子府〜幌延〜稚内間が全通したことにより、当該区間を天塩線に改称する。
 1928(昭和3)年天塩〜幌延間のバス運行。1930(昭和5)年市街地の中心は駅前を中心に発展し現在に至っている。1931(昭和6)年上問寒別に比布団体入地する。1935(昭和10)年には幌延駅を分岐とし、羽幌線が天塩まで開通したこともあり幌延は賑った。世帯数は1993戸、1万1142人。1936(昭和11)年には保線区などの機関も置かれ鉄道員も増えた。1937(昭和12)年6月豊富、日曹炭礦開坑。1938(昭和13)年12月酪連幌延工場操業開始(雪印メグミルク株式会社 幌延工場の前身)も建設され酪農の町としての一歩を踏み出した。1940(昭和15)年9月大字沙流村以北の区域を分村し、豊富町が誕生する。1941(昭和16)年大曲にあった役場庁舎が現在地(現・天塩郡幌延町宮園町1)に移転する。1943(昭和18)年8月トイカンベツ駅逓廃止となる。1949(昭和24)年豊富村との境界変更する。音類小学校開校する。1958(昭和33)年10月初山別〜遠別間を延伸開業し、天塩線を羽幌線に編入。羽幌線が全通する。幌延炭礦閉山する。1959(昭和34)年4月字名の改正を行い2大字を廃止。元町・栄町・宮園町・東町・字問寒別・中問寒・上問寒・雄興・浜里・下沼・開進・上幌延・北進・幌延・1〜6条の各南北が起立する。1960(昭和35)年9月に町制施行し、開拓記念碑建立。11月町制施行記念式典挙行。1962(昭和37)年スキー場造成する。1967(昭和42)年天塩町との境界変更。1974(昭和49)年9月利尻・礼文・サロベツ国立公園指定される。1981(昭和56)年9月幌延町天然ガス試すい調査で、上幌延十線沢掘削する。深度800m。1982(昭和57)年2月低レベル放射性廃棄物施設誘致が報道される。5月浜里の海岸にて150年前の人骨発見する。6月遠別〜幌延〜豊富間の沿岸バス運行開始。7月幌延町原子力関連施設誘致期成会発足する。1984(昭和59)年4月町の高レベル放射性廃棄物貯蔵研究施設誘致報道される。7月第五回町議会で「原子力関連施設誘致の請願」を採択する。「原子力関連施設誘致」を議決する。11月動燃が開進地区で現地調査を行う。12月森林公園「ふるさとの森」完成する。1986(昭和61)年12月動燃開進地区にて深層ボーリング開始する。翌年8月にボーリングは終了。1987(昭和62)年3月羽幌線廃止となり、沿岸バスに転換される。12月サロベツ国立公園のパンケ沼園地に野鳥観察舎完成する。1988(昭和63)年3月トナカイ飼育事業推進準備会設置する。5月郷土資料館が農村事業改善センター内に設置される。8月「21世紀をひらく原子力技術」国際シンポジウムを開催する。12月「北緯45度のまち」づくりキャッチフレーズ・石碑・シンボルデザインを公募し決定する。


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