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氷雪の門

住所 稚内市ヤムワッカナイ

稚内観光協会

稚内の由来は、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ、「冷たい水の流れる沢」という意味である。
道道254号抜海港線の中央2丁目交差点から約750mほどの交差点に稚内公園入口の看板があるので左折し約750mほどの一方通行路を右折し約290mほど。

この場所は、絶景のスポットでもあり、稚内市街地中心部、稚内港、さらにはサハリンをも望むことができる。
札幌出身の彫刻家・本郷新の作品で、白い2本の柱(望郷の門)と中央の女性のブロンズ像、土台の大理石からなる。
全体の高さ7.5m、女性像は2.4m、1973(昭和48)年・2008(平成20)年に改修工事をしている。高台にあるため風雪の影響を受けやすいようだ。
この像は、樺太で亡くなった全ての日本人が対象であり、第二次世界大戦終戦後のソ連軍の侵攻による樺太内での戦争で亡くなった日本人だけを対象としているわけではない。1963(昭和38)年樺太島民慰霊碑「氷雪の門」が設置される。
その後、1973(昭和48)年6月に鉄筋コンクリート製に作り替えられ、門柱表面に厚さ4cmの白御影石を張りつめた。ブロンズ像の台座も新しくなった。
この公園は、5月市内随一の桜の名所ともなり、エゾヤマザクラが山を彩るそうだ。
このエリアには、他にも九人の乙女の碑南極観測樺太犬訓練記念碑・樺太犬供養塔行幸啓記念碑教学の碑、売店などがある。


氷雪の門
人々はこの地から樺太に渡り樺太から
ここに帰った
戦後はその門もかたく鎖された
それから十八年望郷の念止みがたく
樺太で亡くなった多くの同胞の霊を慰
めるべく肉眼で樺太の見えるゆかりの
地の丘に木原豊次郎氏 笹井安一氏の
熱意と全国樺太引揚連盟の賛同並びに
全国からの心あたたまる協力によって
ここに記念碑を造る
氷と雪の中できびしく生き抜いた人々
を象徴する女人像、望郷の門、霊石を
三位一体とする 彫刻家
本郷新先生の力作がここに出来上った
この記念碑を氷雪の門と命名した
昭和三十八年八月十五日
稚内市長浜森辰雄


氷雪の門
日本領だった南樺太(現・サハリン島)には、終戦当時、約42万人の日本人が生活してい
ましたが、ソ連軍の突然の進撃により、人々は全てを捨て祖国へと逃げ帰ることとなりました。
この碑は、帰らぬ樺太への望郷の念と、樺太で亡くなった人たちの慰霊のため1963(昭和
38)年に建てられたものです。高さ8mの門、黒大理石の台座、2.4mの女性像からなり、
女性が手のひらを見せ天を仰ぐ姿は全てを失った悲しみを表し、人々の天への祈り、哀訴、そ
してたくましい再生への誓いを表現しています。お天気が良い日には、像の背景に広がる宗
谷海峡の向こうに、かつて人々が生活していた樺太が見えます。

近くにはアルメニアの花が綺麗に咲いていた。

ここから見る稚内市は絶景である。夜もここまで通行可能で夜景を見に来る人が多い。
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