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カムイト沼

住所 宗谷郡猿払村浅茅野
 
猿払村観光協会

宗谷の由来は、アイヌ語の「シヨウヤ」(海獣の止まる磯の丘)この磯の丘にアイヌコタンがあったことから地名にした。他にも、宗谷岬の北にある弁天島は「ソーヤシュマ」(岩礁の海岸にある島)と呼ばれていた。また、「ソ(ショ)・ヤ」(岩礁の多い海岸)と呼び、これらが「ソーヤ」の由来とされている。現在の宗谷は「ウエン・トマリ」(悪い・入り江)というところで、うっかり舟を入れると岩礁で舟を壊すところだった。
猿払の由来は、アイヌ語の「サロプト」(葦(芦)川口)「サラブツ」(葦(芦)原の河口)から転化した。
浅茅野に関しては、猿払村教育委員会に問い合わせたところ、やはりいきさつは分からなかったが、1902(明治35)年に小樽木材会社が猿払事業所を開業し、1907(明治40)年に浅茅野地区を買収する。この頃から浅茅野という名前が現れているようだ。アイヌ語が由来ではない。浅茅野部落の開拓がはじまるのは1913(大正2)年からである。
カムイトの由来は、「カムイ・トー」(神・沼)神々の住む沼。
国道238号線沿い、浅茅野市街地の道道732号上猿払浅茅野線交差点から稚内方向に約400mを左折し、約240mのT字路交差点を右折し、約2.3kmほど左手に駐車場がある。

猿払原野に含まれる浅茅野湿原の一部で、北オホーツク道立自然公園に含まれる。駐車スペースがあり、そこから眼下にカムイト沼を見渡す事ができる。
原生林に囲まれた沼で多様な水生植物群落を有し、時期になるとヒオウギアヤメなどが咲き誇る。
流入河川がなく、周辺から流入する雨水と湧き水から成り立つようである。流出河川は宗谷濁川で猿払川へ合流する。海跡湖で淡水。腐植栄養湖。面積は0.19平方km。周囲長は約2.3km。標高は5m。最大水深は5.2m。平均水深は3.5m。水の色は茶褐色だが写真を見る限り青さが際立つ。
近くには、旧天北線の線路跡が浜頓別駅跡から猿払駅跡まで「北オホーツクサイクリングロード」に転用され、延長21.3kmのサイクリングコースとなっている。

湖岸へ続く階段があり沼の周りには木道が整備されているが、2017(平成29)年7月からカムイト沼遊歩道と遊歩道へと続く階段の劣化や破損の為、立ち入り禁止となっている。

浅茅野地区は、開拓当時は上猿払や石炭別(人口が皆無となった)からの原木集積地として栄えた所である。かつては旧営林署や王子製紙の苗畑もあって国鉄( 後のJR北海道)浅茅野駅は貨車積みの基地となっていた。
浅茅野が記録に出てくるのは、1905(明治38)年に中村健太郎他2名に貸付けられ、1907(明治40)年小樽木材会社が農場を開設した。この農場は木材を運ぶ馬の為の飼料を作るのが目的だった。
 1913(大正2)年に浅茅野部落の開拓が始まり、道路の開削、浅羽靖氏が牧場を開設、1914(大正3)年猿払川の氾濫により住民の大半が離れてしまうこともあった。浅羽靖所有の牧場は三菱岩崎弥之助に譲渡する。1915(大正4)年に岩崎男爵家(旧財閥)の所有だった頃に9戸の小作人の入植、岩崎男爵が浅茅野の道路を開削する。1918(大正7)年9月浅茅野神社の創建。1919(大正8)年5月浅茅野地区で山火事が頻繁に起こる。11月浜頓別〜浅茅野間を延伸開業し、木材集積、積み出しの拠点として地域に貢献した。1924(大正13)年8月浅茅野で4日間も山火事が消えなかった。10月には浅茅野駅舎全焼する。1926(大正15)年三菱会社東山農場を王子製紙会社に売る。最盛期には浅茅野館、旭館、増井旅館があったという。
 1930(昭和5)年5月・6月に浅茅野で山火事発生する。昭和に入り木材産業の衰退に伴い、貨物利用も減っていく。1940(昭和15)年11月北見鉱業会社が浅茅野地区の鉱業権を取得する。1941(昭和16)年7月浅茅野炭鉱を開坑する。1942(昭和17)年6月浅茅野郵便局で電話交換事務開始する。11月には徴用朝鮮人労務者120人が浅茅野に来る。12月浅茅野陸軍飛行場の造設工事に着手する。1944(昭和19)年9月浅茅野陸軍飛行場の土地を陸軍省で買収する。1946(昭和21)年浅茅野陸軍飛行場跡地を牧場造成する申請を出す。1953(昭和28)年浅茅野炭鉱が経営困難となり閉山する。1970(昭和45)年12月に浅茅野地区に簡易水道完成する。1976(昭和51)年には中国残留孤児の仲野嗣男一家が浅茅野地区に永住帰国している。1981(昭和56)年仲野嗣男氏の兄である繁郎一家も永住帰国した。1982(昭和57)年には駅が無人化され貨物・荷物取扱いも廃止となる。
 1989(平成元)年、5月全線廃止となり、宗谷バスに転換される。1998(平成10)年7月王子製紙の浅茅野社有林内に「王子の森猿払」オープンする。2005(平成17)年には1942(昭和17)年に徴用された日本人や朝鮮人の遺骨を発掘調査している。その後も18.21.22年と遺骨発掘を行い、浅茅野や猿払村民が協力をした。
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