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金浦原生花園

住所 天塩郡遠別町金浦

遠別町

天塩の由来は天塩川、アイヌ語の「テシ・オ」「テシュオ」(梁(やな)・ある)から。
遠別町の由来は、アイヌ語の「ウェンペッ」(悪い川)からと言われているが、実際は「ウイベチ」(相語る川)からだそうだ。
他にも、「ウイエベツ」(さわがしい川)、という意味もあるそうだが、いずれにしても稲作の実る肥沃な地を造りだす川だけに後者であって欲しいと願う。
金浦の由来は、アイヌ語の「トマタウシュナイ」(トマ草(エゾエンゴサク)ノ根ヲ掘ル沢)の意で、(1902(明治35)年に開拓が始まり、当時の入植者は秋田県人が多数を占めていたため一時期は「秋田漁場」と呼ばれたこともあったが、1939(昭和14)年の字名改正の時に「苫年内」から「金浦」となった。
初山別市街地から国道232号線を北に約17km、遠別町から南に約5kmほどの海沿いに金浦原生花園がある。

南北450m東西130mの平原に数万本のエゾカンゾウが群生し、6月の見頃には、黄色い絨毯を敷き詰めたようになりとても綺麗。
天気が良ければ利尻富士も見える。遠別町では1980(昭和55)年に金浦原生花園と指定し、その後民有地5万7153.2uを購入。1984(昭和59)年12月に登記を完了した。


原生花園内は木道で一周できるようになっており、一周250mのファミリーコース・一周420mののんびりコースがある。
距離は短く、整備されているので一周回るのがオススメである。
エゾカンゾウが中心だが、ヒオウギアヤメ・メタチギボウシ・ノハナショウブなども見られる。
2012年7月29日に行った時は、サワヒヨドリが綺麗でした。

金浦地区は、開拓入地以来地名が訛り「苫年内」となった。トマタウシュナイ、トマウシナイ、とまとしない、苫年内と地名が変わってきた。当時の金浦は開拓使の御親領予定地(御料地)とされ、1900(明治33)年栗崎佐太郎が御料地解除願をし、1901(明治34)年に許可が下りて、1902(明治35)年に同氏が開墾し、草分けとなった。
1939(昭和14)年の字名改正の時に「金浦」となった。由来は「農又ハ一部海浜部落ナル故魚ノトレル浜ノ意ヲ含メ名付ケル」である。1918(大正7)年に青年団結成時に「北華」と命名したがこの呼称はすぐ消滅した。
1905(明治38)年に「追にしん」で初山別村の三田拙持の建網が始まり、その後池田、鈴木、網淵らが海難の為この地に居住する。三田漁場で働きながら永住した。
大正に入って、4戸が入植し、秋田県人が多数を占めたこともあり、一時期秋田漁場と呼ばれた。1954(昭和29)年頃のニシンの不漁と共に多くのヤン衆と網元が衰退していった。
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