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開基百年記念塔・北方記念館

住所 稚内市ヤムワッカナイ(稚内公園内)
TEL 0162-24-4019
営業期間 4月29日〜10月31日、冬期間休業
営業時間 9時〜17時。6月〜9月は18時〜21時
定休日 6月1日〜9月30日までの間は無休、毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)
利用料金 小中学生200円  高校生以上400円。夜間は小中学生100円、一般200円
駐車場 無料

稚内観光協会

稚内の由来は、アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」(冷たい水の川・沢)に由来する。
道道254号抜海港線の中央2丁目交差点から約750mほどの交差点に稚内公園入口の看板があるので左折し約1.1kmほどのゲストハウス氷雪手前を右折し約750mほど。

稚内公園内にある記念館・塔が建設されたのは1978(昭和53)年7月である。1879年に宗谷村が設置され、稚内市の開基100周年と市制施行30年記念事業として海抜170mに建てられたもの。


地上1階部と2階部に北方記念館が置かれており、1階は、稚内市や北海道北部の先史時代、アイヌの関連資料、間宮林蔵を中心とした展示を行っていて、特に目を見張るものは、間宮林蔵がオホーツク海から日本海沿岸の西蝦夷地を測量し、師の伊能忠敬の調査と合わせて出来た「伊能大図」1/2をフロア展示されている。


2階は、樺太に関連した資料が中心で、また、日本とロシアの友好を打ち出したものや自然、鉄道、などを題材にした各コーナーに分かれている。
大韓航空機撃墜事件、樺太アイヌ、九人の乙女の自決など、各コーナーとも、見応えのある展示内容で時間を忘れてしまうほどの資料に圧倒される。


鉄筋造2階建の北方記念館を基部に、地上80mの記念塔。山頂近くに建てられたこともあり、海抜250mに達する。
塔頂部の展望室は、四方をガラスで囲まれていて、天気がいいと利尻島・礼文島および北に位置する樺太も見ることができる。
展望台は、6月から9月までは21時まで開館しているそうで、稚内の夜景を堪能することもできるそうだ。


1582(天正10)年、松前藩領となる。
1685(貞享2)年、松前藩、宗谷場所を開設。
1706(宝永3年)年、 村山伝兵衛、宗谷場所を請負う。
1781(天明元)年、宗谷に厳島神社建立。(現・内市宗谷村宗谷、宗谷歴史公園内)
1785(天明5)年、幕府の樺太探検隊長庵原弥六一行、宗谷で越年するも、翌年3月に病死する。(墓碑現存)
1787(天明7)年、フランスのラ・ペルーズの艦隊が世界周航の途中、宗谷海峡を通過、樺太が島であることを確認。
1789(寛政元)年、最上徳内らが宗谷を巡視。
1801(亨和元)年、奉行松平忠明、宗谷を巡視し、台場を築く。
1806(文化3)年、遠山金四郎、村垣左太夫樺太を巡視して宗谷に滞在。
1807(文化4)年、幕吏近藤重蔵ら宗谷を巡視。宗谷場所幕府直轄領となる。津軽藩宗谷警備に付くが、多くの藩兵が水腫病で亡くなる。
1808(文化5)年、間宮林蔵ら、樺太探検のため宗谷を出帆。
1821(文政4)年、宗谷場所、松前藩領になる。
1846(弘化3)年、松浦武四郎が声問に立ち寄る。
1855(安政2)年、宗谷場所、再び天領となる。秋田藩が宗谷警備を行う。
1856(安政3)年、松浦武四郎ら、樺太調査のため宗谷を出帆。
1858(安政5)年、松浦武四郎が声問川を遡り踏査。
1859(安政6)年、宗谷、秋田藩の領下となる。
1869(明治2)年、宗谷、開拓使に属す。
1870(明治3)年、宗谷、金沢藩に属す。
1872(明治5)年、宗谷支庁設置、開拓判官大山重が主任となる。
1873(明治6)年、宗谷支庁を廃し、留萌支庁の管轄となる。
1875(明治8)年、宗谷に開拓使出張所を置く。樺太千島交換条約締結。樺太原住民841名を稚内に移住させる。
1876(明治9)年、宗谷郵便局を設置。
1879(明治12)年、宗谷に郡役所が置かれ宗谷郡となる。宗谷村に戸長役場設置し稚内市の開基となる。
1885(明治18)年、宗谷村尻臼に灯台設置、日本郵船会社小樽・稚内間に定期航路を開く。
1888(明治21)年、宗谷郵便局を稚内郵便局に改称。郡役所、戸長役場、警察署、郵便局など、その他諸官公庁が稚内に移転する。
1889(明治22)年、公立稚内簡易小学校(現・稚内中央小学校)を開設。
1897(明治30)年、郡役所を改め、宗谷支庁を開設。
1900(明治33)年、宗谷郡稚内村、抜海村、声問村の区域を稚内村と称し1級町村制施行。
1901(明治34)年、稚内村を稚内町に改める。
1906(明治39)年、小樽、稚内、樺太定期航路を開設。
1911(明治44)年、山火が延焼し、稚内町724戸・宗谷村71戸・その他諸官庁、学校、病院等消失する。
1913(大正2)年、秋田木材会社が声問発電所を設置し、稚内にはじめて電灯がともる。
1921(大正10)年、声問石油鉱場設立。
1922(大正11)年、11月鬼志別〜稚内(現在の南稚内)間を延伸開業。宗谷線(天北線)開通。11月宗谷線を宗谷本線に改称。
1923(大正12)年、稚泊連絡船運行開始。
1924(大正13)年、北見線開通(現・宗谷本線)、稚斗連絡船運航開始。
1926(大正15)年、稚泊連絡船対馬丸ノシャップ沖で座礁。9月天塩線(音威子府〜幌延〜稚内間)全通。
1928(昭和3)年、12月稚内〜稚内港間を延伸開業。稚内港駅開駅(現・稚内駅)。
1930(昭和5)年、4月天塩線を宗谷本線に編入し、音威子府〜浜頓別〜稚内間を分離し、北見線(後の天北線)に改称。
1937(昭和12)年、稚内測候所を設置。
1939(昭和14)年、2月稚内駅を南稚内駅に改称(同時に稚内港駅を稚内駅に改称)。
1942(昭和17)年、北海道配電会社、声問火力発電所設置。
1945(昭和20)年、樺太居留民引揚船稚内に入港。米軍稚内に進駐。
1949(昭和24)年、稚内市制施行、稚内市となる。
1955(昭和30)年、2月宗谷村を編入する。
1956(昭和31)年、稚内空港建設工事着手。
1957(昭和32)年、稚内測候所気象台に昇格。
1959(昭和34)年、稚内空港開港。曲淵稚内炭鉱閉山を宣言。
1960(昭和35)年、南極観測樺太犬記念碑建立。
1961(昭和36)年、4月北見線を天北線に改称。
1963(昭和38)年、氷雪の門、九人の乙女の像建立。
1964(昭和39)年、三井沢宗谷炭鉱閉山
1965(昭和40)年、稚内新駅舎完成。
1968(昭和43)年、ノシャップ寒流水族館開館。
1971(昭和46)年、ノシャップ米軍基地閉鎖発表。
1973(昭和48)年、稚内空港定期便就航。
1974(昭和49)年、利尻礼文サロベツ国定自然公園が利尻礼文サロベツ国立公園となる。青少年科学館完成。
1975(昭和50)年、郷土資料館設置。
1978(昭和53)年、にしん資料館完成。稚内沖海底石油ボーリング開始。
1979(昭和54)年、船員保険保養所「宗谷パレス」完成。
1980(昭和55)年、日ソ友好会館完成。探検家間宮林蔵の立像建立。東洋一を誇る稚内港北防波堤ドーム全面改築工事完成。
1982(昭和57)年、宗谷岬展望台完成。
1983(昭和58)年、大韓航空機撃墜事件発生。宗谷黒牛の生産を開始する。
1984(昭和59)年、2月天北線全線の貨物営業を廃止。
1985(昭和60)年、大韓航空機事故の祈念碑「祈りの塔」完成。
1987(昭和62)年、稚内空港がジェット化。
1988(昭和63)年、世界平和の鐘、子育て平和の鐘が宗谷岬平和公園に設置。「動物ふれあいランド」が空港公園に完成。
1989(平成元)年、5月天北線廃止に伴い、代替輸送バス運行開始。そうや竜ふるさと歴史館完成。
1991(平成3)年、宗谷丘陵展望休憩施設「ゲストハウスアルメリア」完成。
1992(平成4)年、映画「南極物語」で主役の樺太犬を演じた、犬のタロが死亡。声問川大曲遺跡の発掘調査開始。
1994(平成6)年、大沼野鳥観察館完成。
1995(平成7)年、サハリン定期航路就航(稚内港〜コルサコフ(旧大泊)間)。
1998(平成10)年、風力発電施設稼動。「タロ・ジロ里帰り展」開催。
1999(平成11)年、サハリン定期航路再開。
2000(平成12)年、サハリン州考古学者ら15名、丸木舟で宗谷海峡横断。富士見地区の石油天然ガス基礎試錐「チカップ」本格的な掘削開始。
2004(平成16)年、宗谷丘陵の周氷河地形が北海道遺産に認定される。
2005(平成17)年、国内最大規模の風力発電「宗谷岬ウィンドファーム」(57基)が稼動開始。
2007(平成19)年、稚内メガソーラー実証実験施設の起工式挙行。稚内副港市場開業。ラ・ペールズ顕彰記念碑が建立される。
2008(平成20)年、国際・国内フェリーターミナル完成。
稚内市史、稚内市史第二巻参考

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