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クッチャロ湖

住所 枝幸郡浜頓別町

浜頓別町観光協会

枝幸(えさし)の由来は、アイヌ語の「エサウシ」(岬)から。
浜頓別の由来はアイヌ語「トー・ウン・ペッ」(湖沼に入る(行く)川)。「頓別川」からできた名前で、当時はトンベツと呼ばれ頓別川に河口に集落があった。1878(明治11)年には枝幸郡に枝幸、頓別、歌登、礼文の4ヶ村が設けら漢字が当てられる。1909(明治42)年に2級町村制施行により頓別、歌登、礼文、枝幸が枝幸村に併合となる。1916(大正5)年枝幸村(現・枝幸町)より分村し、2級町村制施行。頓別村となり役場を設置する。1918(大正7)年8月天北線の中頓別〜浜頓別間を延伸開業。下頓別駅・浜頓別駅を新設。駅名を「浜頓別」にした、以来この一帯を浜頓別と呼ぶようになる。1951(昭和26)年頓別村を浜頓別町と改め町制施行。
クッチャロの由来は、アイヌ語の「トー・クッ・チャロ」「クッチャル」(沼の水が流れ出る口)。名前も荷達沼〜頓別沼〜クッチャロ湖と変化した。
国道275号線道道84号豊富浜頓別線の中央北・南交差点から豊富・クッチャロ湖方向へ約700mを右折し、約180mを左折し直進すると湖にでる。

宗谷総合振興局管内枝幸郡浜頓別町にある海跡湖である。1989(平成元)年、7月ラムサール条約に日本で3番目に登録された。
湖と名の付く中では礼文島久種湖に続いて日本で北から二番目に位置し、北オホーツク道立自然公園に含まれる。
周囲27km、面積13.3平方km。大沼と小沼の2つの沼が細い水路によってつながり、その水路の最狭部は約25mで、変形した瓢箪型をしている。
湖の平均水深1.5m、最深部でも2.5mとかなり浅い湖である。
水深が浅く標高が低いため、約3km離れたオホーツク海の海水が、満潮になると入り込み、大沼は小沼よりも塩分濃度が高い。湖の周辺は泥炭地が多く、ヨシが群生している。1968(昭和43)年に鳥獣保護区に指定され、1973(昭和48)年にクッチャロ湖付近は国民休養地に指定される。
大沼の南側には水鳥観察館、キャンプ場、はまとんべつ温泉ウイング、白鳥公園、などの施設と、クッチャロ湖畔竪穴群がある。
日本最大のコハクチョウの中継地で、毎年2万羽ほど、カモ類は5〜6万羽の野鳥が飛来することでも有名である。
ちなみにコハクチョウにエサを給餌するようになったのは1966(昭和41)年からで、通称「白鳥のおじさん」と言われた山内昇氏が湖に春と秋に訪れる白鳥を観光にと考え、茶ガラなどを与えた。現在の楽園があるのはこの方々の努力の賜物だろう。

実は、クッチャロ湖を見渡す事のできる場所は意外に少ないのである、私が知っている限り、クッチャロ湖畔キャンプ場からの展望と、北オホーツクサイクリングロードくらいしかない。キャンプ場から見る、湖に沈む夕陽は特に美しく夕陽の名所とされている(私が訪問した際はあいにくの曇りでした)。あとはクローバの丘がある。標高は60mで、眼下には牧草地とクッチャロ湖と小沼の一部がみえる。小沼は左手の森が邪魔となり全貌は見えないのがちょっと残念ではあるものの絶景が広がる。遠くには北見神威岬や、浜頓別ウインドファームの風力発電風車が見える。


1984(昭和59)年に設置された白鳥の舎では、双眼鏡が設置され野鳥を観察することが出来る。
私が行った時は、黒っぽい鳥が沢山居て、環境省が設置した「浜頓別クッチャロ湖水鳥観察館」の方に聞くとウミウがここまで来て羽を休めているのだそうだ。
エサが豊富なのが要因ではないか?との話だった。




ちなみに、クッチャロ湖と屈斜路湖がよく間違えられるそうで、どちらも同じ意味のアイヌ語が語源になっている。どちらも白鳥が飛来する湖と言うことである。
大きな違いと言えば、屈斜路湖は、弟子屈町にある自然湖で、飛来する白鳥は、オオハクチョウ。クッチャロ湖は、浜頓別町にある汽水湖で飛来する白鳥は、コハクチョウ。
このクッチャロ湖は、大正時代冬になると造材の筏(いかだ)の流送がみられた。流送は仁達内川付近の小沼に「あば」(丸太を集結し筏を組む所)を設けて2000石(約300tほど)の筏を作って流送した。筏が出来ると潮を見て、クッチャロ湖に入る。このクッチャロ湖は水深が浅いので、岸からロープを設けてそれを手繰って下った。クッチャロ川に出ると天北線の鉄橋を潜るのだがそれが一番の難所だったようである。頓別川の河口まで出るのは当時2日半の行程だった。河口で筏は解体され、別の組により船積みされて各地に売られていった。
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