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九人の乙女の像

住所 稚内市ヤムワッカナイ

稚内観光協会

稚内の由来は、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ、「冷たい水の流れる沢」という意味である。
道道254号抜海港線の中央2丁目交差点から約750mほどの交差点に稚内公園入口の看板があるので左折し約750mほどの一方通行路を右折し約270mほど。

1945(昭和20)年8月20日、樺太真岡郡真岡町(現・ロシア連邦サハリン州ホルムスク市)で起きた真岡郵便電信局事件で自決した9人の電話交換手の慰霊碑で稚内公園内にある。1963(昭和38)年に、地元の樺太関係者と遺族の手によって氷雪の門と九人の乙女の像が建立された。
高さ1.8m、幅2.4m、屏風状の登別石製のモニュメントで、全員の名前と交換手姿の乙女の像を浮き彫りにしたレリーフ、それに彼女たちが残した最後の言葉「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・」の文字も刻まれている。
1945(昭和20)年8月20日、樺太真岡へのソ連軍侵攻の為、郵便電信局で連絡業務のため残留していた電話交換手の女性12人のうちの、10名が局内で自決を図り、9人が青酸カリなどを用い自決した。
当日勤務に就いていなかった職員らも、ソ連兵による爆殺、射殺による死者が出て、真岡局の殉職者は19人にものぼるそうだ。
当初の碑文には、自決は軍の命令で、全員が自決したように書かれていたが、実際は軍命令は無く生存者の証言もあり、碑文の記述は事実とは異なってたため碑文は書き直された。
碑文では生存者については触れられていないが、9名は公務殉職として1973(昭和48)年3月31日付で、勲八等宝冠章を受勲、靖国神社にも合祀されている。

碑文
戦いは終わった。それから五日昭和二十年八月二十日ソ
連軍が樺太真岡上陸を開始しようとした。その時突
如日本軍との間に戦いが始った。
戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向った
九人の乙女等は、死を以って己の職場を守った。
窓越しにみる砲弾のさく裂、刻々迫る身の危険、
今はこれまでと死の交換台に向い「皆さんこれが
最後です さようなら さようなら」の言葉を残
して静かに青酸苛里をのみ、夢多き若き尊き花の
命を絶ち職に殉じた。
戦争は再びくりかえすまじ、平和の祈りをこめて
尊き九人の乙女の霊を慰む
昭和三十八年八月十五日
稚内市長 浜森辰雄


この碑は、終戦時、樺太の真岡(現・ホルムスク)郵便局で通信業務を死守しようとした9人
の女性の慰霊のために建てられたものです。北緯50度線でソ連と国境に接していた樺太で
は、1945(昭和20)年8月、ソ連軍の不意の攻撃を受け40年間にわたる国境の静寂が
破られました。島民の緊急疎開が開始される中、戦火は真岡の町にも広がり、窓越しに見る
砲弾の炸裂、刻々と迫る身の危険の中、真岡郵便局の電話交換手は最後まで交換台に向かい
ましたが、「皆さんこれが最後です。さようなら、さようなら・・・」の言葉を残し、青酸カリ
を飲み自らの命を絶ちました。終戦5日後、8月20日のことでした。

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