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教学の碑

住所 稚内市ヤムワッカナイ

稚内観光協会

稚内の由来は、アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」(冷たい水の川・沢)に由来する。
道道254号抜海港線の中央2丁目交差点から約750mほどの交差点に稚内公園入口の看板があるので左折し約750mほどの一方通行路を右折し約250mほど。

稚内公園内にある記念碑である。かつて樺太が日本の領土だった頃、南樺太に位置する豊原市(現ユジノサハリンスク付近)には、樺太庁、豊原支庁が置かれ、1945(昭和20)年当時の人口は、約40万人で、主要な産業は漁業、農業、林業と製紙・パルプ、工業、石炭・石油の採掘業。
樺太「からふと」の名は、アイヌ語で「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ 」(神が河口に造った島)と呼んだ事に由来すると言う。
1939(昭和14)年4月樺太の教員を養成する機関として樺太庁樺太師範学校が開校。当時の所在地は、樺太豊原市東6条南6丁目。
男女共学の実施は当時としては大変珍しかった。
1945(昭和20)年に終戦後、ソ連軍の侵攻により閉校となった。
戦後、樺太師範学校の卒業生は北海道の小学校、中学校、高等学校等で教壇に立ち、北海道の教育を担っていたそうだが、現在は定年を迎えている。
1989(平成元年)年7月同窓生900余名が開校50周年を記念し、樺太を望む稚内公園に記念碑を建立。
手前にはアルメリアの綺麗な花畑があった。

向って右の碑文
至誠一貫
樺太師範學校
郭公や
樺太島は
遠い夢
    純煌煌(上田校長の俳号)

建立誌
 我が母校、樺太師範學校は昭和十四年
四月、四十五万島民の文化の向上と教育
振興の重責を担う教員養成機関として、
豊原市に開校したが、男女共學という専
門學校教育の実施は我が国最初の画期的
な試みで、上田光曦校長(純煌)の卓越
した教育理念によるものであった。
 爾来、至誠一貫を本義とする教學網要
のもと品格の洗練・知性の向上・情操の
醇化・体躯の鍛錬に励み、樺太開拓に貢
献する教育者としての資質の琢磨錬成に
努め、師弟一如の人間性豊かな校風を築
き樺太師範學校の盛名を高めつつあった
が、昭和二十年終戦により、その歴史を
閉じることとなった。
 然し、樺太師範學校の教育精神は同窓
生の教育実践に生かされ、戦後、我が国
の復興と平和文化国家建設に大きな役割
を果すと共に、多くの教え子に継承され
ている。母校は既にないが教學の精神と
共に我々の胸中に厳然として存続してい
る。茲に全国に居住する同窓生九百余名
開校五十周年を記念し、樺太島を望むこ
の地に母校永遠に不滅なりの思いをこめ
て、郷土樺太の石を台座に嵌め込み教學
の碑を建立する。
平成元年七月八日
樺太師範學校同窓会

ここから見る稚内市は絶景である。夜もここまで通行可能で夜景を見に来る人が多い。
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