道の駅 さるふつ公園住所 宗谷郡猿払村浜鬼志別214番地7TEL 01635-2-2311 定休日 年末年始、夢喰間(売店)は不定休、まるごと館は不定休。 営業時間 道の駅事務所9時〜17時30分 営業時間 売店・夢喰間9時〜17時30分(4月中旬〜10月末)、ホテル内売店9時〜18時 営業時間 ホテル内レストラン11時〜14時、17時〜20時(ラストオーダー19時30分) 猿払村観光協会 宗谷の由来は、アイヌ語の「シヨウヤ」(海獣の止まる磯の丘)この磯の丘にアイヌコタンがあったことから地名にした。他にも、宗谷岬の北にある弁天島は「ソーヤシュマ」(岩礁の海岸にある島)と呼ばれていた。また、「ソ(ショ)・ヤ」(岩礁の多い海岸)と呼び、これらが「ソーヤ」の由来とされている。現在の宗谷は「ウエン・トマリ」(悪い・入り江)というところで、うっかり舟を入れると岩礁で舟を壊すところだった。 猿払の由来は、アイヌ語の「サロプト」(葦(芦)川口)「サラブツ」(葦(芦)原の河口)から転化した。 浜鬼志別の由来は、「オ・ニ・ウシ・ペツ」(川尻に・木が・生えている・川)、または「オ・ヌ・ウシ・ベツ」(川尻に・豊漁な川)。1924(大正13)年猿払村が宗谷村から分村し村制施行する。2001(平成13)年猿払村全域の字名を廃止し、新たな町名へ変更。 宗谷岬から国道238号線を浜頓別方向へ約31.0kmほど。浜頓別町市街地から国道238号線を宗谷岬方向へ約30.0kmほど。 国道238号沿い猿払村村営牧場の一角のさるふつ公園内にあり、開駅は1998(平成10)年4月。敷地内にはレストラン・ホテル・銭湯・キャンプ場・風雪の塔・農業資料館(現在は閉館している)がある。 売店では、新鮮な魚介類が並びホタテは、猿払のブランドでフランスや香港へも輸出されるほど。 さるふつ公園内には、ホテルさるふつ ふるさとの家がある。運営は有限会社ヤマトさるふつ観光。部屋数は和室・洋室併せて全44室。 ホテル内の1Fレストラン「風雪」では、日本一の水揚げを誇る猿払産のほたてを使った料理を堪能できる。人気なのはホタテラーメンとホタテカレー、他にも定食や一品料理まで。席数は88席。 この道の駅の海側には、旧ソ連船インディギルカ号が座礁し700人以上の命が失われた、大惨事を慰霊して建てられたインディギルカ号遭難者慰霊碑があり、以前あった日ロ友好記念館は、インディギルカ号遭難者慰霊碑が設立された翌年の1972(昭和47)年に建設されたが、現在は施設の老朽化により閉鎖し建物は解体されている。 インディギルカ号遭難者慰霊碑の隣にはいさりの碑もある。 ホテルさるふつ ふるさとの家には、温泉ではないが入浴施設がある。 さるふつ憩いの湯は、浴槽は一つだけでサウナ付き。シャンプーなども有り設備は充実している。休憩処には自販機があるだけのシンプルな造り。 日帰り入浴は、ホテル内の2階に入口がある。 入浴料金 大人(中学生〜69歳)300円・高齢者(70歳以上)200円・子供(小学生)150円・小学生未満は無料 TEL 01635-3-4314 営業時間 13時〜21時(受付は20時まで) 定休日 年末年始 以前は村営入浴施設「猿払村公衆浴場憩いの湯」があった。1998(平成10)年に開湯するも、2009(平成21)年2月より源泉枯渇により温泉の供給停止する、2010(平成22)年4月より水道水を使用した入浴施設となっていたが閉鎖している。 枯渇前の泉質 ナトリウム - 塩化物泉、源泉温度31.9℃ PH9.9 猿払村公衆浴場が、2015(平成27)年4月よりホテルさるふつ大浴場としてリニューアルオープンした。銭湯ではあるが浴室の窓からはオホーツク海・村営牧場が見える。 お風呂自体そんなに広くないが、300円なら納得の料金だとおもう。 夢喰間 営業期間 4月中旬〜10月末まで 営業時間 9時〜17時30分 定休日 不定休 お取り寄せも出来る有限会社夢喰間 「道の駅弁ホタテめし」は、夢喰間のオリジナルブランドとのこと。原材料にこだわり猿払村の大きなホタテをふんだんに使って炊いている。 店内には他にもコケモモソフトクリームやカレーパン、ホタテフランク、つぶ・ホタテの串焼きなどのFFが充実している。他にも猿払村のお土産品が所狭しと並んでいる。 さるふつまるごと館 営業時間 9時〜17時30分・21時までの営業に関しては完全予約となっている 定休日 年末年始、不定休 お取り寄せもできる小松水産株式会社(活ホタテは漁に左右されるため変動があり) ここは以前猿払村公衆浴場だったところだが、2015(平成27)年7月にリニューアルオープンし、猿払牛乳やプリン、コーヒーなどの飲食が可能でバーベキューコーナーや休憩コーナーもある。また夏季期間はホタテ貝の釣り体験なるものもあるという。 活ホタテを購入することが出来る。持ち帰りだと1枚200円。ここで焼いて食べることもできて、その場合は350円。水槽奥にはバーベキューコーナーがあって、そこで焼ける(11月の下旬〜3月の漁解禁までは活ホタテは食べられないので注意)。 猿払の名産品が並ぶ。さるふつ牛乳は、ノンホモジナイズ製法(78℃で20分間殺菌される)で搾りたてに一番近い牛乳!、旨みが違う。 浜鬼志別地区は、当時エサンベ(浜鬼志別の東部海岸沿い)と呼ばれ、現在の浜鬼志別と芦野を含んだ地区だった。恵山辺とも書いた。アイヌ語由来で「エサンベ」(岬の意)である。 1882(明治15)年に石川県人の岩本甚右衛門がホタテ漁を開始したのが始まりである。1902(明治35)年に福井県人たちが現在の浜鬼志別地区に入植する。1905(明治38)年には田中新平が漁場を開設している。1908(明治41)年には浜鬼志別神社拝殿が新築落成する。この頃から市街地で飲食店や商店が並び盛況だったようで、1911(明治44)年には多賀牧場が開かれ乳牛飼育が始まっていくのである。年代は不明であるが現在の村営牧場辺りには当時競馬場があり年に一回草競馬が開催されていたようである。 1913(大正2)年には、劇場「ネズミ座」が開設される。1914(大正3)年には民間の三井医院が開業する。1918(大正7)年に曹洞宗説教所(現・沸心寺 宗谷郡猿払村浜鬼志別1663)、浄土宗説教所(現・大浄寺 宗谷郡猿払村字浜鬼志別656)、真宗大谷派説教所などの開設。鍛冶屋が3軒もあり当時は大きな集落であったようである。 しかし、1914(大正3)年には山火事が発生し、市街地まで延焼し大半の家屋が焼失する。1917(大正6)年にも山火事が発生し3日間も燃え続けた。 1933(昭和8)年には浜鬼志別〜鬼志別間の電話回線が開通する。1936(昭和11)年には浜鬼志別漁港3年計画改修工事に着手する。 1951(昭和26)年村営牧場が開設する。1954(昭和29)年頃からニシンやホタテがほとんど獲れなくなり、漁業で栄えたこの地域も一転して活気が無くなった。さらに石炭産業も衰退し猿払村は極貧の状況となったがサンマ漁や毛ガニ漁などでしのいでいた。昭和40年代後半には、ホタテ貝の増養殖・放流事業などに取り組み、村に活気が戻る。 1966(昭和41)年には簡易水道の給水開始する。1971(昭和46)年7月イ号遭難者慰霊碑の建設工事開始。9月札幌ソ連領事館よりソ連国民の浄財が届く。10月インディギルカ号遭難者慰霊碑が完成し除幕式挙行。人々の冥福を祈ると共に、海難防止の願いを込めて建立された。台座の石はソ連から寄贈された花崗岩である。 |