宗谷岬公園住所 稚内市宗谷岬稚内観光協会 稚内の由来は、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ、「冷たい水の流れる沢」という意味である。 宗谷の由来は、アイヌ語の「シヨウヤ」(海獣の止まる磯の丘)この磯の丘にアイヌコタンがあったことから地名にした。他にも、宗谷岬の北にある弁天島は「ソーヤシュマ」(岩礁の海岸にある島)と呼ばれていた。また、「ソ(ショ)・ヤ」(岩礁の多い海岸)と呼び、これらが「ソーヤ」の由来とされている。現在の宗谷は「ウエン・トマリ」(悪い・入り江)というところで、うっかり舟を入れると岩礁で舟を壊すところだった。 大岬の由来は、旧宗谷村時代からの地名だが、「稚内市大字宗谷村字大岬」は観光客に紛らわしいということもあり、2003(平成15)年に「稚内市宗谷岬」に変更された。それ以前は「シリシユツ」(地・島、蔭)岬の陰になっているので付けられたもので、その後尻臼と改められ、大岬となった。 国道238号線の宗谷岬の交差点から宗谷岬公園方向に約220mほど。 「宗谷丘陵の周氷河地形」として2004年10月、北海道遺産に選定された日本最北、宗谷丘陵の先端に位置する岬公園。 日本最北端の地として観光客で賑わい、国道238号線沿いには売店・駐車場・最北のお店や店舗がが集中している。 この公園は、日本最北端の地の碑から少し上った高台にある公園で、徒歩でも車でも行ける。 この公園の始まりは、宗谷漁業協同組合の婦人部の皆さんが宗谷岬公園に植栽したのが始まりだそうだ。 宗谷岬灯台 宗谷岬の高台に、宗谷岬灯台がある。歴史は古く道内では3番目に建てられ、1885(明治18)年9月25日に初めて点灯され、当時は石油を光源に使っていた。霧や雪で悪天候の際は鐘を鳴らして合図し、厳冬期である1〜2月は灯台の機能は停止していたようだ。 日本の灯台50選のひとつで、1912(大正元)年の二代目灯台を経て、1954(昭和29)年に現在の三代目となった。 灯台の高さ17m、海抜約40mの位置にあり、宗谷海峡を航行する船舶の重要な目標物となっている。 大岬旧海軍望楼跡 大岬旧海軍望楼跡は、稚内市有形文化財(1968(昭和43)年12月指定)自由に上ることが可能で、眼下に宗谷岬駐車場や日本最北端の地碑や商店街を望む。稚内では明治年代の建築物で現存する唯一の建物。 あけぼの像 北海道の牛乳生産量100万t突破記念と飼育乳牛50万頭突破記念であり、1971(昭和46)年7月宗谷岬の丘陵上に建てられた。 宗谷丘陵を見つめながら力強く立っているブロンズ像は、天北酪農を見守るかのように思えるのは私だけだろうか。 ラ・ペルーズ顕彰記念碑 あけぼの像の横には、2007(平成19)年10月に建てられたラ・ペルーズの碑がある。 彼は1700年代のフランス人で、1787年に欧州人として初めて、宗谷海峡を通った人物でそれから220周年記念で建立された。 この宗谷海峡は和名で、フランス名はラ・ペルーズ海峡と呼ばれる。 宗谷海域海軍戦没者慰霊碑 1980(昭和55)年9月に建立された。 1945(昭和20)年7月米潜水艦の魚雷攻撃を受けた、稚泊航路連絡船「宗谷丸」を守るため、身代わりとなって爆沈した望楼防備隊所属の「第112号海防艦」の乗組員152名の霊を慰めるため、望楼防備隊を含む宗谷防備にあたり殉職した人々の鎮魂のため建てらた。 平和の碑 四角錐の上に赤いボールが乗っかっているかのような碑が、宗谷海域海軍戦没者慰霊碑の横に隣接する。 この碑は、太平洋戦争中の1943(昭和18)年10月宗谷岬沖で日本海軍に撃沈された、アメリカ海軍潜水艦「ワフー号」の乗組員80名と、ワフー号によって日本海で沈められた、日本商船5隻の犠牲者690名を慰霊するため、1995(平成7)年9月に日米合同で建立した。 祈りの塔 高さ約20mと公園内で一際目立つノッポな塔である。 1983(昭和58)年9月にサハリン沖で起きた大惨事、大韓航空機撃墜事件の慰霊碑で、1985(昭和60)年9月に建立された。平和の象徴であるツルが羽ばたく姿をデザイン化したものだ。高さ19.83m。両翼の幅24.20m。口先はサハリン沖の墜落現場に向けられている。 塔の周辺には地域の婦人部が世界平和の願いを込めて植栽しているアルメリア花壇があり、横にある白いモニュメントは子育て平和の鐘。高さ45cm。直径25cmの釣り鐘を製作し、決まった時刻に打ち鳴らされていた。 宮沢賢治文学碑 宮沢賢治文学碑は、1923(大正12)年8月に稚泊航路に乗った際に「宗谷」を詠んだとされている。 はだれに暗く緑する宗谷岬のたゞずみと北はま蒼にうち唾るサガレン島の東尾や 「宗谷2」の一節が刻まれている。もともとは、「宗谷要塞重砲兵連隊」関係の平和記念碑として建立されたが、宮沢賢治人気もあり文学碑として注目されるようになった。 碑を建立したのは、宗谷要塞重砲連隊宗谷会の人たちで、裏には平和を願う碑文が刻まれている。 碑は、1986(昭和61)年10月に除幕され、高さ1.2m。幅2.5m。本体はパーレルレッドの赤石を使用し、台座は白御影石を使っている。 |