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トロッコ王国美深

住所 中川郡美深町字仁宇布
TEL 01656-2-1065
営業期間 4月下旬〜10月中旬
営業時間 受付は8時30分から16時
料金 大人2名以上で1名分1500円、1名の場合1800円、中・高生(学生証などを提示)1200円、小人(小学生)700円、幼児(未就学児童)無料
駐車場 あり

美深町観光協会

中川の由来は、天塩川の中流にあることに由来する。
美深の由来は、アイヌ語で「ピウカ」(石の多い場所)から。
仁宇布の由来は、アイヌ語の「ニ・ウプ」(木があるもの、または森林)に由来する。
名寄美深道路の美深ICで降りて道道49号美深雄武線を右折し、雄武方向に約19.2kmほどの交差点を左折。

1985(昭和60)年に国鉄・美幸線が昭和60年に廃止され、 1998(平成10)年7月美幸線の廃線跡を利用したトロッコ王国が開設された。



場所は、美幸線の終点であった仁宇布駅から美深に向かった約5kmの区間、当時は鉄路もほとんどの区間で撤去工事が進み、仁宇布駅付近の廃線跡だけは線路がそのまま残されていて、その廃線を利用してトロッコ王国ができた。
トロッコは、自動車運転免許証さえ持っていれば誰でも運転できる(運転者のみ)。
乗る前には操作方法と運転上の注意をスタッフから10分程受けると往復10kmの旅の始まりだ。
開設当時は、終点まで行くとスタッフが待っていて指導を受けながら方向転換をしたのだが、現在はUターンするルートが出来ていまして、昔みたいに降りて方向転換と言う作業はなくなった(急なカーブのため気を付けないと危ない)。
単線で、対面通行はできないので、1時間置きのスタートとなる。数台のトロッコで一緒に行って戻ってくるスタイルになる。
最高速度は約20km/h位だろうか。車のように囲いがほとんどないのでスピード感とスリルがある。
鉄道マニアでなくとも子供から大人まで楽しめるアトラクションだ。
線路沿いは白樺の林になっていて、清流が流れるとても景色の綺麗なところで、GW時期にはミズバショウも綺麗に咲いている。

店内には、防寒着もあるので、寒いときは借りるといいだろう。
白樺樹液も売っているので、是非飲んでみて欲しい。ほんのりと甘味と木の匂いがして美味しい水だった。近くには美幸線記念碑仁宇布駅逓所跡の碑がある。

ここ仁宇布地区は、古くはニユプ・ヘンケニウフ・ヘンケニウボなどとも呼ばれた。江戸期から見られる地名。松浦武四郎が著した「丁巳日誌」では「ヘンケニウボ、左りの方に中川有。巾凡五七間。其上平地、前少しの石原有りけるが、此処鱒・アメノウオ多きよしにて、其傍に上川の土人等五七人も形計の廬を建て出張りたり」とある。
 1869(明治2)年天塩国に上川・中川・利尻・天塩・苫前・焼尻の6郡を定め水戸藩が支配する。天塩国中川村に属する。1897(明治30)年天塩村の戸長役場管轄から中川・上川両郡を分離する。下名寄村の一部となる。1907(明治40)年1線〜22線の間に竹内善兵衛率いる福島県安積団体として佐久間喜助他数戸が入植したのに始まる。現在の部落の中心は25線辺りになり、1907(明治40)年福島団体長竹内善兵衛がニウプに入植。1908(明治41)年4月に小笠原尚衛がアイヌを道案内に現地調査を行い、仮小屋を設けて開墾に着手した。1909(明治42)年後藤織衛・石川辰喜・三浦熊太郎・佐伯多次郎らが入植した。1912(明治45)年1月駅逓が設けられ入植者が増加する。幌内(現・雄武)へ通ずる道路も開削され、急速に発展していった。木材の豊富な地域だったこともあり造材で盛んになり、ニウプ川を流送した。開拓当初は福島県相馬地区の出身者が多かった。砂金も取れたようで従事者が増える。
 1915(大正4)年美深尋常高等小学校仁宇布特別教授所設置する。1917(大正6)年頃の澱粉最盛期には100戸余りもあった。1919(大正8)年仁宇布尋常小学校となる。1921(大正10)年、仁宇布発電所営業開始。1923(大正12)年1級町村制施行し、美深町となる。
 1935(昭和10)年仁宇布殖民軌道が、仁宇布25線まで開通する。1938(昭和13)年12月には仁宇布郵便取扱所が置かれ、1940(昭和15)年12月郵便局に昇格、郵便・為替・貯金・年金・保険事務なども行った。1944(昭和19)年道支弁森林軌道仁宇布25線から30線まで延長する。1947(昭和22)年美深中学校仁宇布分校開設する。1951(昭和26)年戸数は88戸、人口476人。商店が2・澱粉工場が12・木工場2・小中学校・林務所駐在所・仁宇布診療所などがあった。1952(昭和27)年小学校・中学校の並置校として独立する。1955(昭和30)年頃に仁宇布地区戦後開拓が開始される。1960(昭和35)年戸数71戸、371人。開拓当初から馬鈴薯の耕作地が大半を占めた。1957(昭和32)年7月美深〜仁宇布間の電話が開通する。1963(昭和38)年仁宇布殖民軌道廃止。1964(昭和39)年美幸線美深〜仁宇布間開通。電気が通る。1985(昭和60)年美幸線廃止となる。


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