三船遭難慰霊之碑

住所留萌郡小平町字鬼鹿広富
留萌市から国道232号線(オロロンライン)を北上すると鬼鹿に道の駅、おびら鰊番屋がある。その向かいに駐車帯がありその公園内にある。
三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)とは、第二次世界大戦末期の1945年8月22日、北海道留萌沖の海上で日本の引揚船3隻(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)がソ連軍の潜水艦による攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件である。三船遭難事件とも呼ばれる。
捜索は難航して、1974年から5回にわたり厚生省が海上自衛隊に依頼し、泰東丸の捜索をするも成果は無く捜索は断念された。
1981年に地元の漁船が泰東丸らしい沈船を発見し、1982年と1983年の調査で、バッテリー、銃弾、茶碗などの泰東丸のものと思われる遺品が引き上げられた。
道の駅、おびら鰊番屋の隣に郷土資料館があり、泰東丸の遺品が展示されている。


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