日本最北端の地の碑住所 稚内市宗谷岬稚内観光協会 稚内の由来は、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ、「冷たい水の流れる沢」という意味である。 宗谷の由来は、アイヌ語の「シヨウヤ」(海獣の止まる磯の丘)この磯の丘にアイヌコタンがあったことから地名にした。他にも、宗谷岬の北にある弁天島は「ソーヤシュマ」(岩礁の海岸にある島)と呼ばれていた。また、「ソ(ショ)・ヤ」(岩礁の多い海岸)と呼び、これらが「ソーヤ」の由来とされている。現在の宗谷は「ウエン・トマリ」(悪い・入り江)というところで、うっかり舟を入れると岩礁で舟を壊すところだった。 国道40号線と国道238号線の潮見4丁目交差点から宗谷岬方向へ約27.0kmほど左手。 稚内市にある岬だが、単に海岸線がカーブしているだけであり、尖った地形ではない。北緯45度31分22秒の地点にある碑。43km先には天気が良ければサハリンの島影が望める。 一般人が行くことのできる、日本最北端の地であるため(そばの弁天島が最北端)、石碑が建てられており、この碑を目指してやってくる観光客は数多い。 碑の建立は、1968(昭和43)年7月高さ4.53m(北緯45度30分にあやかり)、北極星の一稜をとった三角錐を形どり稚内で採れたジャスパー(石英質の鉱物で、水晶や瑪瑙(めのう・アゲート)、カルセドニー等と同じ、特殊な条件下で精製された不純物が多く石の中に混じる石英の集合体)をちりばめ、三角錐のなかに北極星の光とノース(north)の「N」をシンボルとして取り付けられたもので、その後海中を埋め立ててさらに移設し、碑も高さ6.8mに作り直して現在に至っている。 初代の碑は、1961(昭和36)年7月に建立されたもので、東海林義夫氏が部落民に呼びかけ、自然石を積み重ねた台座の上に、高さ2mの長方形の花崗岩を置き、当時の市長浜森辰雄氏の揮毫により「日本最北端の地」の文字が刻まれていたものだった。しかし正確な位置ではなかった。 シーズンともなると観光バスがひっきりなしにやって来ては、みんなが日本最北端の地の碑の前で記念撮影をするので大混雑となる。 朝早くか、夕方に行くのをオススメしたい。 宗谷岬の裏の丘の上には、宗谷岬公園があり、大韓航空機撃墜事件を慰霊した祈りの塔、平和の碑、宗谷岬灯台、食堂などがある。 ちなみに、岬の東にある宗谷港はタコの水揚げ量が全国第2位である。 岬周辺は集落となっており、商店や人家が固まっていて、最北端の○○と付くものが数多くある。 作詞・吉田弘、作曲・船村徹による曲「宗谷岬」現地には歌碑があり歌が流れるようになっている。 黒見影石に「宗谷岬」の歌詞と楽譜を刻んだもので、1980(昭和55)年11月に建立された。 2004年10月には、宗谷岬周辺の宗谷丘陵が北海道遺産に選定された。 間宮林蔵像 以前は稚内寄りの「間宮林蔵渡樺の地」にあったが、最北端の碑ができたときに移設された。建立は1980(昭和55)年。 |