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稚内フェリーターミナル

住所 稚内市開運2丁目7-1
TEL 0162-23-3780

ハートランドフェリー

稚内観光協会

稚内の由来は、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ、「冷たい水の流れる沢」という意味である。
開運地区は、埋め立てで出来た地区で独自の町内会は無く中央地区の北1・北3町内会に属している。中央埠頭と北埠頭を基盤とした水産関連会社や、漁協などが集中する地区である。中央は、南1・南2・南3・中央・北1・北2・北3の各町内会で構成され、1879(明治12)年郡役所、戸長役場、警察署、郵便局など、その他諸官公庁が稚内に移転し、銀行、商店などが軒を連ねる文字通りの中央地区だった。
道の駅わっかないから南へ約280mの交差点を左折し、約400mほど。

稚内港は、日本最北の港湾で、1957(昭和32)年に重要港湾に指定され、物資流通の拠点・北方漁業の基地・そして利尻・礼文への連絡港として大きな役割を果たしている。
2008(平成20)年、5月12日よりリニューアルオープンし、全面バリアフリー化や乗船口を2階に設置して渡り廊下を設置するなど、利便性を大幅に向上している。
北埠頭にあった旧フェリーターミナルビルは同年6月に解体された。また駐車場・道路を挟んだ対面に稚内港国際旅客ターミナルがある。
ちなみに稚内フェリーターミナルからは、礼文島と利尻島行きの路線のみである。


1階
ハートランドフェリー稚内支店・発券カウンター・自動券売機・Heartland ショップ・到着ロビー


2階
乗船口・待合ロビー・飲食店(AZZURRO TAVOLA 藍・カフェベーカリーショップ 波流・和ダイニング碧(ツアー客専用))などがある。
スープカリー、カレー、蕎麦、ラーメン、オムライス、パスタ、ハンバーグ、豚丼など食事メニューがあり、ベーカリーも充実している。
メロンパン、焼きそばロール、じゃが芋パン、もうもう黒うしバーガーなど60種にもなるパンが用意されている。


1879(明治12)年、宗谷に郡役所が置かれ宗谷郡となる。宗谷村に戸長役場設置し稚内市の開基となる。
1885(明治18)年、宗谷村尻臼に灯台設置、日本郵船会社小樽・稚内間に定期航路を開く。
1901(明治34)年、稚内村を稚内町に改める。
1906(明治39)年、小樽、稚内、樺太定期航路を開設。
1920(大正9)年、港湾整備に着手。
1923(大正12)年、5月稚泊連絡船運行開始。
1924(大正13)年、稚斗連絡船運航開始。
1925(大正14)年、宗谷地方沿岸部で水産業開発を行う丸一組合が鴛泊村に創業する。(ハートランドフェリーの前身)
1926(昭和元)年、現在の北防波堤と北埠頭岸壁の一部が完成。鉄道が敷かれ、稚内と樺太〜大泊を結ぶ「稚泊航路」が開設される。
1934(昭和9)年、7月海運需要から丸一組合を解散させ、丸一水産株式会社として設立する。
1935(昭和10)年、稚内と利尻・礼文両島を結ぶ航路が開かれ、ドーム状の防波壁をもつ北防波堤が完成する。
1937(昭和12)年、6月丸一水産株式会社が水産業を新設した利尻漁業株式会社へ分割譲渡。社名を稚内利礼運輸株式会社に変更し、本社を稚内市へ移転する。
1945(昭和20)年、8月24日ソ連軍の侵攻。同日樺太からの最終便(宗谷丸)が稚内に到着し航路消滅。
1946(昭和21)年、7月国鉄との連絡運輸を開始。
1948(昭和23)年、関税法による開港場に指定される。
1949(昭和24)年、稚内市制施行、稚内市となる。
1957(昭和32)年、港湾法による重要港湾に指定される。
1970(昭和45)年、4月初のカーフェリー「第一宗谷丸」が就航する。
1972(昭和47)年、2月稚内利礼運輸株式会社の社名を東日本海フェリー株式会社に変更する。
1980(昭和55)年、東洋一を誇る稚内港北防波堤ドーム全面改築工事完成。
1989(平成元)年、稚内〜サハリン間にフェリーが就航する(不定期)。
1995(平成7)年、稚内〜コルサコフ間に日ロ定期フェリー就航。
1999(平成11)年、6月「アインス宗谷」を稚内〜コルサコフ航路に就航させ、日本の船舶会社として同航路の運航に参入し、サハリン定期航路再開する。
2007(平成19)年、3月31日JR北海道との連絡運輸が廃止となる。
2008(平成20)年、国際・国内フェリーターミナル完成。1月1日社名を東日本海フェリー株式会社からハートランドフェリー株式会社に変更する。

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