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宗谷ふれあい公園展望台

住所 稚内市声問5丁目

営業時間 5月上旬〜9月末日は8時〜21時、冬季閉鎖。
料金 無料

道立宗谷ふれあい公園

稚内観光協会

稚内の由来は、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ、「冷たい水の流れる沢」という意味である。
声問の由来は、アイヌ語の「コイ・トェ・イ」(波が切る所・または波が崩す所)に由来する。アイヌは大沼(シュプントー)から上流を「シ・ペッ」(本流の川)、下流部は「トー・パロ」(沼の口)と呼んでいた。声問川は稚内市内を流れ宗谷湾に注ぐ二級水系河川である。また江戸時代はこの声問をクシャフ=クチャ・プッ(狩小屋・川口)と呼んでいたそうだ。
国道238号線道道1133号宗谷ふれあい公園線の声問3丁目の交差点から宗谷ふれあい公園方向に約750mの側道を左折し、約1.0kmほどで展望台につく。

道立宗谷ふれあい公園は、稚内市の中心部から南東へ約10キロメートル離れた大沼の北岸にある声問地区に位置している。
大沼は、稚内市中北部にある沼で、アイヌ語名はシュプントウ(ウグイの沼、の意)である。砂州によって海と切り離された海跡湖で、面積4.88km2、周囲長12km、最大水深2.2m。
日本でも有数の白鳥の飛来地となっており、コハクチョウ・オオハクチョウ・コブハクチョウ・マガン・アオサギなどが飛来する。冬にシベリアからウトナイ湖・クッチャロ湖へ向かう中継地として羽を休む姿が見られる。
1998(平成10)年7月に一部供用開始され、2000(平成12)年全面オープンした施設である。
園内はエントラスゾーン・交流拠点ゾーン・オートキャンプ場ゾーン・展望ゾーン・平地の遊機能ゾーン・丘の遊機能ゾーンの6つのゾーンに分かれ、四季を通じて楽しむことのできる大規模公園となっている。
「未来への北方圏交流拠点の形成」というコンセプトのもとに、サハリンなど様々な地域間交流の拠点として期待されている。
総面積66.8ha、南北に約750m、東西に約1100mあり、起伏が穏やかな標高40mの丘と北西に広がる平坦地からなり、丘の上(展望台)は幅100m、長さ400mの平坦地で、周氷河作用を受けた地形でもある山肌の面白さと周囲の雄大なパノラマが特徴的な景観となっている。


この展望台からは、天気が良ければ大沼・稚内空港・利尻富士・宗谷海峡、遠くはサハリンなどが一望でき、雄大なパノラマが特徴の一つだ。
展望台駐車場横には、円形の壁が立っていて、案内板を見ると「風の劇場」というようだ。


公園の拠点ともいえるビジタ−センターは、年間を通して利用することができ、館内は幼児向けの室内遊戯場、インドアガーデン、バーベキューコーナー、研修室、食堂・売店等があり年間を通じて利用することができる。
営業時間 4月29日〜9月末日は8時〜21時、10月〜4月28までは9時〜17時


宗谷管内最大のオートキャンプ場は、白鳥の飛来する大沼のすぐそばにある。
営業時間 4月29日〜9月末日は8時〜19時
3タイプのロッジ11棟・キャンピングカーサイト(4サイト)・プライベートサイト(24サイト)・フリーテントサイト(24サイト)が整備され、充実した施設・設備が完備されている。

パークゴルフ場は、全36ホールからなり、年齢層を問わず多くの利用者で賑わっている。
クラブ・ボールのレンタル有り
料金 高校生以上1人1日200円
クラブ貸出 1本1日100円
定休日 毎月第一火曜日
アルメリアコース 9ホール(390m、パー33)
サハリンコース 9ホール(425m、パー33)
リンドウコース 9ホール(443m、パー33)
ふれあいコース 9ホール(386m、パー33)

声問地区は、1878(明治11)年宗谷郡に6村が誕生したときに、それまでのアイヌコタンが声問村と命名されたものである。
1879(明治12)年宗谷に郡役所が置かれ宗谷郡となる。宗谷村に戸長役場設置し稚内市の開基となる。
1885(明治18)年青森県人の成田与之吉が声問岬に小屋を建て、ナマコ漁に従事したのが声問地区の漁業の始まりとされている。
1887(明治20)年頃には、ニシンの建て網を始め、石川県人らが集団移住して集落が形成されていった。その後人口も増え、市街地の形成を求め宗谷外三郡役所に陳情したのが1895(明治28)年である。間口六間半、奥行き二四間、地積156坪の471戸分が区画され、道路の開削もあり、荒れ地が一変した。この年の声問の戸数は70戸、人口は339人だった。
1887(明治20)年頃始まった、佐藤重太郎の寺子屋式教育は、1892(明治25)年稚内簡易小学校声問分校として開校した。この頃に声問神社も創建されている。
1897(明治30)年代には、大徳寺(現・稚内市声問5丁目1-15)、大成寺(現・稚内市声問5丁目1-6)が開山。声問郵便受取所、木工場、消防組、青年会なども創立された。
1900(明治33)年宗谷郡の稚内村、抜海村、声問村の区域を稚内村と称し1級町村制施行。
1909(明治42)年には、声問川上流奥地の森林開発に着目した札幌の坂本竹次郎は、坂本木工場を、次いで永岡木工場を操業する。1912(大正元)年には秋田木材が声問に木工場を新築し操業を開始した。当時木材の輸送は、全て海路で、川は流木と貯木であふれ、それに関わる従業員なども移住して戸数は370戸と膨れ上がった。
1913(大正2)年には、秋田木材が社内発電を目的として火力発電を設置し、声問全域にまで電気を送電。その後1914(大正3)年には稚内市街にも電気を供給した。
1921(大正10)年東京の村井砿業株式会社が声問石油鉱場設立する。声問岬地区に石油鉱脈があるのを察知し、採掘をする。大量の湧出があり、最盛期には17本にもなる油井があった。しかしその隆盛もガスによる火災が発生し、事業は閉鎖となった。その後戦争遂行に向け開発されたが、1974(昭和49)年に全てが閉鎖となった。
1922(大正11)年11月鬼志別〜稚内(現在の南稚内)間を延伸開業。小石駅・曲淵駅・沼川駅・樺岡駅・幕別駅・声問駅・稚内駅を新設する。宗谷線(天北線)開通。11月宗谷線を宗谷本線に改称した。
1927(昭和2)年秋田木材も材料である木材が不足し、火力発電が稚内市街に移ったこともあり工場は閉鎖した。これにより戸数も90戸減少し、ニシン漁も不漁で活気が失われていった。この頃以前はあまり着目されることのなかったコンブ採取に着目。コンブ礁を作り、利尻・稚内の種コンブを植え付け育成し、現在の基盤となった。

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