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焼尻島フェリーターミナル

住所 苫前郡羽幌町大字焼尻字東浜

羽幌町観光協会

焼尻島・天売島は、暑寒別天売焼尻国定公園に指定されていて、焼尻島のイチイの原生林は1983年(昭和58年)8月に、国の天然記念物に指定されている。
焼尻島は、面積5.21km2、島の名の由来は、アイヌ語の「エハンケ・シリ」(近い島)、あるいは「ヤンケ・シリ」(水揚げする島)。
主たる産業は漁業で、観光と畜産がある。畜産はサフォーク種の国内有数の産地として有名で、道路から放牧風景も見られる。
併設して、島っ子食堂(6月中旬〜9月末まで営業)、新沼食堂(5月〜8月20日まで営業)、焼尻観光観光案内所、レンタサイクル(梅原サイクル) 2時間¥800、1日¥1,000。TEL (01648) 2-3559。


これは梅原サイクルでレンタルすると貰える地図です。


この地図は、焼尻観光案内所で貰える地図です。


毎年7月上旬には、焼尻めん羊祭りが開催されます。
このイベントでは幻の羊といわれる、焼尻サフォーク肉やウニやツブなど焼尻産水産物が堪能できる。
花火大会もあり、臨時出航するフェリーから花火を見ることもできます。
日本一の味覚とも言われる天売・焼尻島のウニ。
ウニの解禁日は6月中旬らしいので、それを目当てなら確認してから行くのがいいでしょう。
留萌管内で獲れるウニはエゾバフンウニとキタムラサキウニの2種類で、漁獲量の比率では、エゾバフンウニが多く、約8割となっているそうだ。

新沼食堂
ターミナルにある食事処、わかめ天ぷら定食、タコ丼、わかめラーメン、ホタテカレーなどがあり、わかめの天ぷらを食べに来る常連も居るほどである。
わかめの天ぷらがうどんやラーメンにも入っていてとても美味しく、懐かしい味わい。
タコ丼は、柔らかくて御年配の方でも食べられるのでは?と思うほど、ご飯の上にドッサリと乗っていて食べ応え満点。


島っ子食堂
ターミナルに併設された食事処、島っ子ラーメン1000円やサフォーク肉のジンギスカンなどを食べられる。
こちらには今回行かなかったので写真はありません。

紀元前5000頃縄文時代前期 海の幸に恵まれた天売・焼尻島に人が住み始める。(土器や石器が出土している)
900-1200頃 縄文文化(最後の土器文化)がこの島に及ぶ。(擦文文化)
1667(寛文7)年、「松前蝦夷図」に初めて「テウリエゾ」の名が現れる。
1746(延享3)年、福山の人、山田某焼尻に始めてニシン漁を営む。
1778(安永7)年 、焼尻に同年8月15日付の墓碑がる。
1786(天明6)年、6代栖原角兵衛、焼尻・天売・天塩場所の漁場請負を命ぜられる。
1792(寛政4)年、ニシン漁のために出稼ぎに来ていたアイヌ人23人が遭難。
1807(文化4)年、西蝦夷地、幕府領となりこの頃、天売とは無人島となり、焼尻・苫前・手塩のアイヌの出稼ぎ地となる。
1821(文政4)年、幕府、蝦夷地を松前藩に返還する。
1840(天保11)年、マシケ以北の出稼許可され、江差・福山・南部・津軽地方の漁民この地方に姿を見せはじめる。
1848(嘉永元)年、米人ラノルド・マクドナルド焼尻に上陸。
1855(安政2)年、蝦夷地が再び松前藩領から天領になる。
1857(安政4)年、初めて和人漁民の出稼ぎが許可され、秋田・津軽の漁民3人(雇漁夫39人)がニシン漁を始める。
1859(安政6)年、苫前領、天売、焼尻(天塩領)庄内藩の支配地となる。
1869(明治2)年、明治政府が開拓使を設置し、蝦夷地を北海道と改め国郡を設定する、焼尻島は手塩国苫前郡に属す。
1879(明治12)年、郡区町村制が定められ、留萌に郡役所設置、焼尻村、天売村戸長役場を焼尻に設置。
1880(明治13)年、焼尻外-戸村長役場の管轄区域となる。12戸、234人。
1897(明治30)年、産卵のために日本海に来たニシンを97万5千トン漁獲する。
1902(明治35)年、天売・焼尻のニシン漁船70隻が天売港で暴風のため転覆、死者228人。
1904(明治37)年、ニシン建網(定置網)50統、同刺し網7766放、漁獲高15000石(一石=生ニシン750kg)、入稼漁夫2500人。
1906(明治39)年、2級町村制施行で焼尻村役場と改称。ニシン漁不漁期に入り、島民の生活困窮。
1908(明治41)年、焼尻漁業組合設立。
1913(大正2)年、焼尻灯台設置。
1933(昭和8)年、苫前・焼尻・天売を結ぶ航路開かれる。焼尻水産物検査所派出所開設。
1944(昭和19)年、漁業組設立。(羽幌・焼尻・天売)
1949(昭和24)年、漁業協同組合に改組。(羽幌・焼尻・天売)
1956(昭和31)年、ニシン凶漁、乱獲によってニシンの群は北海道から姿を消し、生態系が壊れ以後ニシン漁業消滅。ウミガラス激減する。
1957(昭和32)年、北海道のニシン漁は終わった。
1962(昭和37)年、焼尻地区めん羊事業開始。
1964(昭和39)年、天売・焼尻道立自然公園指定。
1972(昭和47)年、環境庁、天売島のウミガラス1117羽と報告。焼尻天売への観光客約5万人。
1977(昭和52)年、焼尻郷土館(小納邸、明治33年建築)羽幌町有形文化財指定 (12月19日)
1979(昭和54)年、町立焼尻高校閉校(3月31日)。焼尻郷土館(小納邸)北海道有形文化財指定(11月27日)
1989(平成元)年、フェリー「おろろん」就航。
1990(平成2)年、暑寒別天売焼尻国定公園指定。屏風岩にウミガラスのデコイ設置して、ウミガラスを呼び戻さざるを得なくなった。
1991(平成3)年、高速船「さんらいなぁ」就航。焼尻西浦北防灯台完成 。
1996(平成8)年、羽幌・天売・焼尻漁業協同組合が合併。
1997(平成9)年、羽幌に北海道海鳥センター設置。
2009(平成21)年、羽幌炭砿鉄道「SL58629号」撤去。
2011(平成23)年、羽幌が舞台の全国放送のテレビドラマ「幸福の黄色いハンカチ」のロケが市街地、焼尻島で行われる。

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