土方歳三最後の地住所 北海道函館市若松町33函館市公式観光情報サイト「はこぶら」 函館国際観光コンベンション協会 土方歳三蝦夷共和国宣言 新選組副長として、幕末から明治維新にかけて活躍した土方歳三は、1896(明治2)年5月11日、新政府軍に制圧された箱館市中の奪回に向かったが、一本木関門付近(現在の若松町付近)を守備し、七重浜より攻め来る新政府軍に応戦、馬上で指揮を執った。 その乱戦の中、銃弾に腹部を貫かれて落馬、側近が急いで駆けつけた時にはもう絶命していた、35歳で壮烈な最期を遂げたといわれる。 若松緑地公園をめがけて行くとたどり着きます。駅からそうは遠くありません。 総合福祉センターの敷地内なのでそこの駐車場に入れると良いでしょう。 土方 歳三(ひじかた としぞう)とは、1835(天保6)年5月5日(5月31日) - 1869(明治2)年5月11日(6月20日) 新選組副長、幕末期の幕臣。新選組「鬼の副長」として恐れられたことでも知られた人。 戊辰戦争では旧幕府陸軍指揮官の一人として図抜けた軍才を発揮し、いわゆる「蝦夷共和国」においては陸軍奉行並箱館市中取締裁判局頭取に就任した。 それと写真にもありますが、すぐそばには猿田彦塚の碑もありました。 猿田彦塚とは、昔この辺りは箱館村と亀田村との境になっていた。 猿田彦塚は、1817(文化14)年、一本木付近に建立され、「天保九年御巡見要用録」という記録書には、箱館村と亀田村との境界標であったと記されている。 この塚は以前紛失していたが、1956(昭和31)年に付近の民家から塚の破片の一部が発見。 1958(昭和33)年に猿田彦塚を復元。猿田彦と天鈿女命(あめのうずめのみこと)とは夫婦であり、猿田彦は道案内の神として知られている。 大きな地図で見る |