榎本軍鷲ノ木上陸跡地

住所 北海道茅部郡森町鷲ノ木町161

森町観光協会

北海道に生きたラストサムライ

榎本軍は、1868(明治元)年、旧暦の10月22日、土方歳三を主将とした旧幕府軍左縦隊は星殉太郎の率いる額兵隊と春日左衛門の指揮する陸軍隊を併せた五百余名をもって組織され鷲ノ木を出発し、森−砂原−鹿部−川汲峠−上湯ノ川を経由する砂原街道の間道を、五稜郭へ向かって進撃を開始。
現在の暦では12月5日に相当しますが、すでにこの時期の積雪は30cmを超えており、北国の寒さを知らない多くの将兵が歩行の困難や物資の輸送に苦しみながらも行軍を続けたという記録が残されている。
第一日目は、鷲ノ木を夜明け前に出発して尾白内を通過し砂原に向かう海岸沿いの東海岸道(現在の道々森−砂原線)を、約14km進んで砂原に到着し、宿陣している。
人見勝太郎以下32名の先発隊が峠下村(現七飯町)で待ち構えていた官軍と撃戦となり、箱館戦争へと展開していく。
開戦と共に鷲ノ木村は榎本軍の後方陣地となり、高森台場(現東森)、石川原沢口台場(現富士見町)、湯ノ崎台場(現鷲ノ木)などが構築された。
こうして、1869(明治2)年5月の箱館戦争終結までは負傷者や病人たちの療養地となり、また戦死者は霊鷲院に手厚く葬られたそうだ。
今も鷲ノ木の墓地には榎本軍死者たちが眠っており、近くにある史跡公園内には上陸記念碑や慰霊碑などがある。


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