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下富良野官設駅逓の跡

住所 富良野市朝日町4-7

ふらの観光協会

富良野の由来は諸説があり、アイヌ語の「フラヌ」(赤色の溶岩や焼石が沢山あるところ)「フーラヌイ」(硫黄臭き火炎の土地)「フラヌイ」(臭き火焔)から転訛したものといわれ、いずれも市内を流れている富良野川の上流に硫黄山(十勝岳)があり、噴気と臭気に由来している
1899(明治32)年、滝川・芦別方面と、十勝方面との分岐点として交通上の必要性から兜谷徳平が取扱人となり設置。
当時、富良野市が下富良野と呼ばれていたときの「駅逓」(えきてい:宿場のこと)が、現在の新谷菓子店前にある。
1911年(明治44)に廃止された。
1900年(明治33年)8月1日 北海道官設鉄道十勝線(現・富良野線の上富良野〜下富良野間が延伸開業、下富良野駅を新設。
1913年(大正2年)11月10日 釧路線(現・根室本線の滝川〜下富良野間)の開業。
北海道官設鉄道十勝線が出来たことにより、駅逓の役割が終わったのではないかと思う。


兜谷徳平(かぶとやとくへい)とは、1852(嘉永5)年9月7日 - (大正14)年2月16日、芦別、富良野の功労者で、富良野原野開拓の父と言われている。
富山県西礪波郡藪波村(現・富山県小矢部市浅地)で生まれた。
礪波郡役所に奉職するが3年で退職。
1890(明治23)年、藪波村の村会議員に当選。9月助役に推選される。
1891(明治24)年、3月藪並村の村長となる。
1894(明治27)年、北海道の新天地に憧れを抱き退職を願い出るが、人徳を惜しんでこれを受理せず現職のまま北海道に渡る。このとき移民団体を募り、六十八戸、三百二十余人を引率し、空知川沿岸の芦別村小百戸(現・芦別市福住町)に入植した。
1895(明治28)年、4月村長の退職を受理した。
1897(明治30)年、7月札幌郡白石村外一ヶ村の戸長になる。
1899(明治32)年、兜谷徳平が取扱人となり下富良野官設駅逓を設置、このとき芦別郵便局長も兼務していた。
1915(大正4)年、下富良野村村会議員に当選する。
1921(大正10)年、この年まで下富良野村村会議員を務めた。11月総延長15511間(約28.2km)に渡る用水路、山手幹線の着工。
1923(大正12)年、5月山手幹線の竣工。
兜谷徳平翁の胸像が朝日ヶ丘公園内にあり、1938(昭和13)年に建立したが、現在の胸像は1950(昭和25)年に作り直された。

駅逓とは、宿場から宿場へ荷物を送り届けることで、宿(しゅく)つぎ。馬つぎとも言われた。
当時開拓のために北海道にやってくる人や、旅をしている人に宿泊所として使われたり、または人や馬を貸し出したりしていて、北海道独特の制度だったそうで、郵便の仕事も取りあつかっていたそうだ。
運営には半官半民の請負制がとられ、運営者は取扱人(とりあつかいにん)と呼ばれた。
北海道内には全部で238駅、配置されていた馬の数は2835頭にもなったそうだ。
1946(昭和21)年には制度自体が廃止になった。

根室本線とは、滝川市滝川駅から帯広市・釧路市を経て根室市根室駅を結ぶ北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線である。
釧路駅から根室駅までの区間には「花咲線」の愛称が付けられている。
1899(明治32)年、9月北海道官設鉄道十勝線として旭川〜美瑛間が開業、辺別駅・美瑛駅を新設。11月美瑛〜上富良野間が延伸開業、上富良野駅を新設。
1900(明治33)年、8月上富良野〜下富良野間が延伸開業、下富良野駅を新設。12月下富良野〜鹿越間が延伸開業、山部信号停車場・金山駅・鹿越駅を新設。
1901(明治34)年、9月鹿越〜落合間が延伸開業、落合駅を新設。4月山部信号停車場を駅に変更する。
1902(明治35)年、12月幾寅駅を新設。
1905(明治38)年、4月官設鉄道に移管する。
1901(明治34)年、7月北海道官設鉄道釧路線釧路(後の浜釧路)〜白糠間が開業、白糠・庶路・大楽毛・釧路駅を新設。
1903(明治36)年、3月白糠〜音別間が延伸開業、音別駅を新設。12月音別〜浦幌間が延伸開業、浦幌駅・厚内駅を新設。
1904(明治37)年、8月浦幌〜豊頃間が延伸開業、豊頃駅を新設。12月豊頃〜利別間が延伸開業、利別・池田駅を新設。
1905(明治38)年、12月利別〜帯広間が延伸開業、帯広駅・止若駅を新設。
1907(明治40)年、9月落合〜帯広間が延伸開業により旭川 - 釧路間が全通する。狩勝給水給炭所・新内・新得・清水・佐念頃・芽室・伏古の各駅を新設。
1909(明治42)年、10月旭川〜釧路間が釧路線となる。
1913(大正2)年、10月下金山駅を新設。11月滝川〜下富良野間が開業する。幌倉・上赤平・平岸・下芦別・野花南・奔茂尻・島ノ下の各駅を新設し、滝川〜釧路間を釧路本線と改称し、下富良野〜旭川間を分離し富良野線とする。
1917(大正6)年、12月釧路〜厚岸を延伸開業。上別保・上尾幌・尾幌・門静・厚岸・浜厚岸の各駅を新設。釧路駅が現在の位置に移転。
1919(大正8)年、11月厚岸〜厚床間を延伸開業、糸魚沢・茶内・浜中・姉別・厚床駅を新設。
1920(大正9)年、11月厚床〜西和田間を延伸開業、初田牛・別当賀・落石・西和田の各駅を新設。
1921(大正10)年、8月西和田〜根室間延伸開業により全通する。花咲駅・根室駅を新設、滝川〜根室を根室本線と改称する。
1927(昭和2)年、12月26日布部駅を新設。
1942(昭和17)年、4月下富良野駅を富良野駅に改称する。
1943(昭和18)年、6月上赤平駅を赤平駅に改称する。
1946(昭和21)年、5月下芦別駅を芦別駅に、奔茂尻駅を滝里駅に改称する。
1952(昭和27)年、11月上別保駅を別保駅に改称する。
1954(昭和29)年、11月幌倉駅を東滝川駅に、伏古駅を西帯広駅に改称する。
1963(昭和38)年、11月止若駅を幕別駅に改称する。
1966(昭和41)年、3月釧路機関区にDD51形を配置。9月鹿越駅を信号場に(金山ダム建設にともなう線路付替)変更。9月落合〜新得間の新線を開業。10月落合〜新得間の旧線を廃止、新内駅・狩勝信号場廃止。
1969(昭和44)年、4月富良野〜釧路間ディーゼル機関車が走る。
1987(昭和62)年、4月国鉄分割民営化に伴い北海道旅客鉄道(JR北海道)が承継。
1991(平成3)年、7月花咲線全線ワンマン運転開始。10月野花南〜島ノ下間、滝里ダム建設にともなう線路付替を行う。滝里駅廃止となる。
1993(平成5)年、3月滝川〜釧路間で全普通列車ワンマン運転開始。


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