上富良野町開拓記念館

住所 空知郡上富良野町草分
TEL 0167-45-3100

かみふらの十勝岳観光協会

上富良野市街から北側に向かい国道にぶつかる手前右側に、開拓記念館がある。


1897(明治30)年、三重県の「三重団体」の田中常次郎一行8名が富良野の原野に入植以来、100年を記念し建設された。
町内には同様の資料館として上富良野町郷土館があるが、この開拓記念館では上富良野村長を勤めた吉田貞次郎、上富良野町開拓の祖といわれる田中常次郎、十勝岳大噴火に関する資料などを中心に展示している。
建物は、1926(大正15)年の十勝岳噴火災害からの復興を成功させた当時の村長、吉田貞次郎氏の住宅を移築復元したもの。
泥流の被害を受けながらも、現在まで残存した建築物として大変貴重なものである。


管理人が常駐しておらず、普段は閉まっている。(7月〜8月はいるらしい)
見学の際は、事前または現地で上富良野町教育委員会へ電話連絡が必要かもなので、一応参考までに(TEL 0167-45-3100 )。
開拓記念館の敷地内には吉田貞次郎と田中常次郎の胸像、頌徳碑など記念碑が幾つか建っている。


泥流の展示コーナー、田中常次郎、吉田貞次郎はビデオがあって、映像が見られ、興味深いものとなっています。
展示されているものも、当時、吉田貞次郎が愛用していた自転車、草分神社に奉納した木簡など郷土資料館とは違い、テーマを絞った内容の濃い記念館となっている。


7月〜8月上旬であれば、開拓記念館の敷地内にラベンダーが咲き、とても綺麗だ。

田中常次郎は、1858(安政5)年、三重県安濃郡安東村字納所(現・三重県津市安濃町)で生まれた。
1894(明治27)年、北海道移住を思い立つ、36歳の時であった。
1897(明治30)年、三重県人で田中常次郎の率いる8名が、開拓のため富良野の原野に入る。
樹木が少ないススキの原野で、 一本のニレの木があり一行はここで野宿し、後に富良野原野の開拓の手掛かりを作った。
よく三重団体をまとめた常次郎はその後村会議員・在郷軍人分会理事・上富良野信用購買販売組合理事・富良野川潅漑溝組合副理事長など公職をこなした。
1909(明治42)年、一切の公職を退いて「身を閑散に委し優遊自適」し、「観世流の謡曲を唯一の楽と為」という。
1915(大正4)年、4月20日に死去した。(享年58歳)

吉田貞次郎は、1885(明治18)年、に河芸郡一身田村大字一身田字西之町(現一身田町)に生まれる。
1900(明治33)年、両親とともに上富良野村三重団体に入り移住する。
開拓と農業に従事するなか、勉学も励んだといわれている。
1910(明治43)年、上富良野村村会議員になる。
1919(大正8)年、村長に選任され4期16年間村政の執行に尽力。
1926(大正15)年、5月24日に十勝岳が大音響とともに大爆発、村は泥流に埋められ、144人の尊い命と850ヘクタール以上の田畑が壊滅的な被害を受ける。
1942(昭和17)年、衆議院議員となる。
1948(昭和23)年、63才で亡くなるまで、地域に尽くした。

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