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深山峠

住所 空知郡上富良野町西7線北

かみふらの十勝岳観光協会

国道237号線沿いにあり、上富良野と美瑛の町境に位置する峠。
十勝岳連峰を見渡す絶景のビューポイントで、丘の向こうにそびえる大雪山の絶景、夏には色鮮やかなラベンダーやポピーの花畑が広がり、ラベンダーオーナー園というものもある。
オーナー園だけに、オーナーの名前の入った看板が並んでいる。
近くには、深山峠アートパーク・深山アイス工房・レストラン・ペンション・トリックアート美術館などもあり観光客が多い。
アートパーク敷地内には、松浦武四郎顕彰之碑もあるが目立たない。
安政5年、幕府の命を受け和人ではじめて上富良野を越えて十勝行きをしたそうで、この松浦武四郎と言う人の足跡は北海道の各地に碑が残っていて、富良野岳の麓にも碑がある。
1858(安政5)年、3月10日松浦武四郎が十勝越えの経験のあるアイヌシリコツネを案内人とし、アイヌ人夫を含む総勢十五人でフウラヌイ(上富良野)に来て、ビエベツ(上川郡美瑛町春日台間宮岳付近)の高地で、「硫黄の燃る烟実に目覚しく天にさし上がりたり。」と十勝岳の噴煙を眺める。その夜レリケウシナイで(旭日川)の川端に着くと「これより先は飲用できる水がない」というので、野宿する。
3月11日松浦武四郎が、(現・自衛隊演習場内)ベベルイ川を渡り更に支流のサッテキベベルイ(カラ川)を上り、カラ川の水源の辺りで野宿する。
3月12日富良野岳と前富良野岳の鞍部であるルウチシ(路を越える)を越し、ヌモツベイトコ(現富良野市原始ケ原二の沢川・布部川水源)を経て、シーソラプチ川(空知川源流)上流、二股に宿泊し、そこから十勝に抜けている。


松浦武四郎とは、1818(文化15)年2月6日(3月12日) 〜1888(明治21)年2月10日没
江戸時代から幕末・明治時代にかけて活動した日本の探検家、浮世絵師。
蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案し「北加伊道」とつけた、後の北海道です。
1845(弘化2)年、初めて蝦夷地を訪れる。 この時の身分は、幕吏ではなく江差の商人を名乗って東西蝦夷地を探検し、『初航蝦夷日誌』を残している。 1850(嘉永3)年に3回の調査の記録を「初航蝦夷日誌」(全12冊)、「再航蝦夷日誌」(全14冊)、「三航蝦夷日誌」(全8冊)という題でまとめている。
これらの日誌には、蝦夷地の地形・地名・動植物・アイヌ民族の姿・松前藩による蝦夷地支配の実態などが詳細に記録されている。
個人として3度、幕府の役人として3度、計6度の蝦夷探検の膨大な記録が残っている。

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