山部成墾記念碑

住所 富良野市字山部1908番地

ふらの観光協会

山部は、芦別岳・夕張岳へと連なる夕張山地が素晴らしいく、登山客も多い。
まわりは主に水田で、メロン栽培がさかんで、国道38号線沿いは、メロン・スイカと書いた看板が連なる。
山部には、木の生えていない赤茶けた山が見える。
この山こそ、昨今の騒ぎになっている、石綿(アスベスト)鉱山である。
もう廃鉱となって久しいが、私も小さいときに、発破の爆音を何度も聞いたことがあるほどだ。
石綿鉱山から延々と続く山は、東京大学の演習林で、一般の立ち入りはできない。
かつては「大学村」と呼ばれていた山部地区はほぼ全域を、北大第8農場と東大演習林で占められいたが、入植者は小作で農業を営み、大正時代には豆景気で沸いたこともあったそうだ。
山部村は、1966年(昭和41)年5月1日、富良野町と山部町が合併し富良野市となった。
大本教北海別院の門前町としての一面も持っている。
北大第八農場は、1886(明治29)年、当時の札幌農学校校長佐藤昌介の献言により、未開の富良野盆地の一部を校有財産として所管。
1898(明治31)年、管理のための富良野看守所が設置され、小作人3戸が入植。
1901(明治34)年、山部看守所が設置され開墾地も拡大、成墾当時の小作総戸数は700戸余りを数えた。
この成墾記念碑は、1909(明治42)年、開墾がほぼ完了したことを記念して、小作人たちが資金を捻出して建立し、山部神社の境内にあり市内最古の記念碑である。
山部のほかに、富良野成墾記念碑というのもある。


渡辺一雄翁の像
1918(大正7)年、北海道に渡り山部村に居を構える、1922(大正11)年、建設請負業渡辺組を創業。
1938(昭和13)年、石綿鉱山の採掘に着手、消防団長・社会福祉・産業経済界など多岐にわたる公職を務め、山部地域の発展に大きく寄与した。
至誠一環の志しと業績を讃え、米寿の祝いに建立。1994(平成6)年98歳で逝去。
山部神社の鳥居の横にある。


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