とかち帯広空港

住所 帯広市泉町西9線中8番地41
TEL  0155-64-5678
帯広観光コンベンション協会

とかち帯広空港

帯広市は十勝管内では唯一の市で、十勝の中核都市の役割を担っている。
十勝平野の中央部にあり内陸部に位置するため寒暖の差が激しい。
帯広の名の由来は、アイヌ語「オペレペレケプ」(いくつにも裂けている・者)即ち(川口がいく条にも分かれている川)」。
帯広空港は、帯広市の中心部から約25km(バスで約40分)、空港は有数の畑作地帯が広がる十勝平野のほぼ中央部にあり、西には日高山脈が広がる。
1964(昭和39)年、帯広空港開港する。
道東の拠点空港として整備され、北海道内では新千歳空港に次ぐ広大な敷地、282haを有し、設備拡張に備えた構造となっている。
そばには、独立行政法人・航空大学校帯広分校が設置され、エアラインパイロット養成を目的とした教育を行っています。



1800(寛政12)年、皆川周太夫がトカチ川筋を踏査。
1808(文化5)年、トカチ40部落、254戸1034人。
1845(弘化2)年、松浦武四郎が襟裳から釧路・知床岬までの太平洋沿いを通過した。
1856(安政3)年、松浦武四郎が襟裳から釧路の太平洋沿いを再度通過した。
1858(安政5)年、武四郎は「東西蝦夷地理取調役御雇」として狩勝を越えて十勝に入り、この年春と夏の2回探索している。
1869(明治2)年、蝦夷を北海道と改め十勝国を創設、7郡が置かれ、この地に河西郡下帯広村ができる。広尾・当縁・河西の3郡は鹿児島藩が統治するが、間もなく徳川家直系の一橋家および田安家の所領となり、十勝国はすべて徳川家一族の領地となった。
1875(明治8)年、若松忠次郎ら和人とアイヌによる計13人で十勝組合(十勝漁業組合)を組織。
1882(明治15)年、北海道開墾晩成社が、静岡県伊豆国で組織され、依田勉三・鈴木銃太郎は下帯広村オベリベリを開墾地に選定し、鈴木銃太郎一人越冬する。
1883(明治16)年、 晩成社移民団13戸、27名が下帯広村オベリベリに入殖。
1892(明治25)年、下帯広村に三等測侯所開設。帯広郵便局開設。
1893(明治26)年、 北海道集治監釧路分監帯広外役所を下帯広村に置く。下帯広村に官設駅逓所開設。
1894(明治27)年、下帯広村に河西外二郡(河東、上川)各村戸長役場開庁。
1895(明治28)年、北海道集治監十勝分監開庁。十勝農事試作場開場。
1896(明治29)年、 帯広尋常小学校(十勝内陸最初の学校として)開校。殖民地区画地貸下げ開始。
1897(明治30)年、 釧路外十二郡役所を分割し、河西外六郡役所を下帯広村に置く。河西支庁開庁。
1900(明治33)年、河西外二郡戸長役場から芽室外六村を分離、下帯広外十一村戸長役場と改称。
1901(明治34)年、下帯広外十一村戸長役場から音更外二村を分離、下帯広外八ケ村戸長役場となる。
1902(明治35)年、下帯広外八村を廃止、帯広町・伏古村・幸震村・売買村・上帯広村の1町4村組合として二級町村制施行。
1905(明治38)年、帯広・釧路間鉄道全通(釧路線)、帯広駅・止若駅開設。
1907(明治40)年、落合 - 帯広間が延伸開業により帯広・旭川間鉄道開通。新得・清水・佐念頃・芽室・伏古の各駅を新設。
1914(大正3)年、 市街に試験電灯つく。消防組、8馬力ガソリンポンプ購入。
1915(大正4)年、帯広町外4 村組合を廃合、帯広町に伏古村の一部を合併して一級町村制施行。 1919(大正8)年、帯広・旭川間電話開通。北海道製糖株式会社創立(現・日本甜菜製糖株式会社)。
1920(大正9)年、帯広・札幌間電話開通。
1921(大正10)年、北海道製糖工場操業開始。
1923(大正12)年、十勝鉄道創立。
1925(大正14)年、帯広・士幌間鉄道開通(30.1km) 、士幌線として新規開業し、木野駅・音更駅・駒場駅・中士幌駅・士幌駅を新設する。
1932(昭和7)、帯広飛行場完成。河西支庁を十勝支庁と改称。晩成社解散。
1933(昭和8)年、市制施行。
1944(昭和19)年、第一飛行師団、第七師団帯広に移駐。
1952(昭和27)年、3月4日十勝沖地震、M8.2 太平洋沿岸一帯津波により被害。死者・行方不明者33名、住家全壊・流失906戸。
1957(昭和32)年、川西村・大正村、帯広市に合併。
1963(昭和38)年、帯広動物園開園。
1964(昭和39)年、第1回帯広氷まつり。帯広空港開港。
1968(昭和43)年、帯広貨物駅竣工。郷土資料室を開館。
1976(昭和51)年、新刑務所新築移転。
1977(昭和52)年、新帯広空港工事着手。刑務所跡地開発事業着手。 1981(昭和56)年、新帯広空港開港。国鉄石勝線開業。
1982(昭和57)年、開基100年市制施行記念式典挙行。帯広百年記念館開館。
1987(昭和62)年、3月23日士幌線全線廃止。
1989(平成元)年、はまなす国体スケート大会開催。
1993(平成5)年、1月15日釧路沖地震、M7.5 釧路支庁に被害。死者2名、住家全壊53戸。
1997(平成9)年、国道236号豊似〜浦河間(天馬街道)開通。
2003(平成15)年、帯広広尾自動車道帯広−川西間開通。9月26日十勝沖地震、M8.0 死者・行方不明者2名、家屋全壊116戸。
2007(平成19)年、ばんえい競馬帯広市で単独開催。

皆川周太夫とは、生没不明、1800(寛政12)年、松平信濃守忠明の命を原新助を経由して受け、和人として初の蝦夷地内陸調査行を敢行。
その行程は十勝川河口から川筋に北上して日勝国境を越え、沙流川川筋に南下してサル会所、後鵡川川筋に南下して勇払、勇払からシコツ−(千歳川、石狩川川筋)−サツホロ−(豊平川川筋)−虻田のルートをおよそ百日間で踏破する。

はまなす国体とは、第44回国民体育大会で1989(平成元)年1月28日から9月22日の間、北海道内18市22町で開催された。
テーマの「はまなす国体」は北海道の花である「ハマナス」にちなんで付けられた。

士幌線(しほろせん)とは、旧国鉄が運営していた鉄道路線で、帯広市の帯広駅〜河東郡上士幌町の十勝三股駅に至る路線で、1987(昭和62)年に廃止された。
1960年代後半から国道273号が整備され、1972年には三国峠を抜けるルートにより上川町方面へ開通する。
道路の開通と共に、沿線住民は上士幌に移住するなどして次第に糠平以北は無人地帯が続く状況となった。
現在では、旧糠平駅構内で「ひがし大雪高原鉄道」として662mの足こぎトロッコを、旧幌加駅付近では「森のトロッコ・エコレール」として500mの木製トロッコを運行している。

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