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旭岳温泉

住所 上川郡東川町旭岳温泉

東川町

東川町の由来は、忠別川のアイヌ語名「チュプペツ」(日の出る川)を意訳してついたもので、旭川と同語源である。
旭岳温泉の由来は、アイヌ語で「ユコマンベツ」、(湯に向かう川)と呼ばれており、1982(昭和57)年、勇駒別温泉から旭岳温泉に改名する。
大雪山の主峰である旭岳の麓にある温泉で、大雪山の表玄関でもあり、特に高山植物の開花のシーズンと紅葉のシーズンは大変混雑する。
旭川空港から約1時間ほどで、東川町市街地から道道1160号旭川旭岳温泉線を約31kmほど。
旭岳温泉は、1914(大正3)年に、阿久津啓吉が温泉の湧出を発見したのが始まり、かつて勇駒別と呼ばれていた。
1916(大正5)年、阿久津啓吉が掘っ立て小屋の湯小屋を建設し、1950(昭和5)年 には、旭岳温泉株式会社が温泉旅館勇駒荘を建設し営業開始するのである。
旭岳温泉街は、ホテル・民宿・ユースホステル等が道道に沿って十軒前後存在するが、目立つような看板などは無いのである、国立公園内と言うことで歓楽色はないそうだ。
泉質:カルシウム・マグネシウム・ナトリウム硫酸塩、無色透明。約47〜51℃。
効能:神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩
旭岳温泉には多数の源泉があり、泉質も異なり日本では極めて珍しい正苦味泉と呼ばれる、マグネシウム主体の硫酸塩泉は、マイルドで優しい湯で湧駒荘にあります。
冬の旭岳は、山の一部が旭岳スキー場となり、日本で最も遅くまで滑降できるスキー場としても有名である。
余談ですが、昔養魚場がありテラピアなどが養殖されていました。当時各旅館等で一般宿泊者に「アサヒダイ」という名目で提供されていたそうですね。
今は、養魚場跡が残るだけである。


旭岳山麓湿原コース(かも沼・わさび沼コース)
旭岳万世閣ホテルベアモンテ横から入ります、このコースは、防虫対策さえしっかりしておけば、本格登山よりも気楽に楽しる。
木道が整備されています、旭岳ビジターセンターにてコース図をもらって最新情報を聞いてから行くのがいいでしょう。
ここは、とにかく蚊がすごいんです、蚊対策をしっかりしないとひどい目にあいますので注意してください。
冬期はスノーシューコースとしても散策できます。
所要時間は1周、約1時間10分ほどです。
必要な装備は底が厚めの靴、レインウェアまたは、雨風をしのげる長袖の上着、それと防虫スプレー・クマ鈴など。

1857(安政4)年、松田市太郎が、上川を探検し、石狩山(現・旭岳)〜キムンクンベツ(東川)を経てオトコマウチ(志比内付近)にて泊まる。
1870(明治3)年、田中鋭次郎らが、上川の郡界調査をする。
1873(明治6)年、米人ワッソンが上川地方の調査をする。
1888(明治21)年、石狩川と忠別川の合流点に「石狩川水測所」設置。
1895(明治28)年、殖民地の課し付けが始まり、香川団体45戸、富山団体25戸、愛知団体15戸、徳島団体11戸などが字忠別原野(現・東川)に入地。その後入地続く。
1897(明治30)年、9月松山多米蔵が、アイヌの人から滝と湧泉の話を聞き、案内を受けて忠別川をさかのぼり、湧き出る温泉を発見。石狩国上川郡旭川村(現・旭川市)から分村、上川郡東川村が置かれ、旭川戸長役場の管轄となる。
1900(明治33)年、東川神社建立。
1901(明治34)年、松山温泉旅館が完成し、営業開始する。松山温泉誕生となる。羽衣の滝発見される。
1903(明治36)年、博文館発行の「日本の名勝」詩に「大雪山」の名称が記載される。
1906(明治39)年、東川村・東旭川村組合役場となり、2級町村制施行。
1907(明治40)年、「姿見の池」命名される。
1909(明治42)年、2級町村制施行し、東川村となる。
1913(大正2)年、忠別川発電所運転開始。
1914(大正3)年、阿久津啓吉が勇駒別温泉(現・旭岳温泉)発見する。
1916(大正5)年、勇駒別温泉(現・旭岳温泉)に阿久津啓吉が湯小屋を建設する。
1918(大正7)年、大町桂月が天人峡に訪れ、羽衣の滝と命名する。
1919(大正8)年、1級町村制施行される。
1921(大正10)年、大町桂月が層雲峡から旭岳に登り「登山紀行文」で大雪山の景観を紹介。大雪山を横断し、松山温泉(現・天人峡温泉)に下山する。
1923(大正12)年、天人峡、層雲峡縦断登山道の開削。黒岳、旭岳の登山道と山小屋が整備される。旭平、雲の平に石室完成する。
1927(昭和2)年、旭川〜東川西3号まで電車軌道が開通。
1932(昭和7)年、小西清作が竹藪温泉(現・旭岳温泉)を開く。天人峡神社建立。湯駒別神社建立。
1934(昭和9)年、大雪山が国立公園になる。
1942(昭和17)年、天人峡、トムラウシ、旭岳の登山道改修。
1950(昭和25)年、江卸水力発電所完成。
1951(昭和26)年、羽衣の滝が、北海道名勝記念物に指定される。勇駒別(旭岳温泉)まで道路開削工事開始。
1955(昭和30)年、勇駒別温泉道路開通。
1959(昭和34)年、町制施行、東川町となる。
1966(昭和41)年、旭岳ロープウェイ着工する。
1967(昭和42)年、6月旭岳ロープウェイ運行開始(天女が原まで)。11月旭岳スキー場オープン。
1968(昭和43)年、10月旭岳ロープウェイ全線開通する。
1982(昭和57)年、湯駒別温泉を旭岳温泉に改称する。
1985(昭和60)年、「テラピア養殖施設」が旭岳温泉に完成。
1990(平成2)年、羽衣の滝が日本の滝100選に選ばれる。
(東川町史第2巻参考)

松田市太郎は、函館奉行所石狩在勤の足軽とされている。
松田岳(標高2136m )という山もあり、お鉢平カルデラの外輪山にあり、由来は、江戸時代に未開の地であった大雪山を踏破し、石狩川の水源を発見し「イシカリ水源見分書」を残した松田市太郎の功績により松田岳と命名された。
1857(安政4)年に、美瑛川上流から十勝岳に登頂し、硫黄を持ち帰ったことが『イシカリ川水源見分書』に記録されているそうだ。

テラピアとは、スズキ目シクリッド科に属す魚の一部で、分類学上の集団ではない。
アフリカと中近東に分布していたが、食用にするため世界各地の河川に導入された。
雑食性で淡水、汽水の様々な環境に適応するが、冷たい水には棲まない。 テラピアは、在来魚を駆逐する外来生物になり、各地で生態系の脅威になっていて、温泉地域などで帰化・定着していることが確認されている。
一部の種類については、外来生物法により要注意外来生物に指定されている。

道道1160号旭川旭岳温泉線とは、旭川市と東川町旭岳温泉を結ぶ一般道道で、総距離は33.0km。

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