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井上靖記念館

住所 旭川市春光5条7丁目
TEL 0166-51-1188
開館時間 9時〜17時(入館は16時30分まで)
休館日 毎週月曜日(月曜が祝日の場合は翌日) 年末年始(12月30日から1月4日)
入館料 一般200円、高校生100円、中学生以下は無料。

井上靖記念館

社団法人 旭川観光協会

旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。
国道40号線花咲町5丁目交差点から、花咲通りを中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館方向に直進し約1.5kmほど。
井上靖記念館は井上靖さんが旭川で生まれたことを記念して作られた記念館。


1993(平成5)年7月24日に開館したこの記念館には、生まれ故郷である旭川への思いを綴った自筆ノート・彼が残した文学作品と直筆原稿・親交のあった芸術家の作品など貴重な資料を展示している。
ラウンジには、北海道の郷土資料本・各地文学館の出版物及び関連図書・文学作品など500冊を超える書籍があり、入館すれば誰でも読むことが可能なんだそうだ。
常設展示以外にも、企画展・文学講演会などを行っているのでHPで確認してみてください。
隣接する彫刻美術館との共通入場券が購入できるのでオススメしたい。
主な展示品
誕生した頃の旭川市を綴った直筆のノート。
自身が生前に愛用していたカメラや灰皿、万年筆、眼鏡など
中国・敦煌へ赴き、書き綴ったノート
自身が書いた詩の原稿、およそ120冊にのぼる、自身の作品の初版本など


井上靖(いのうえ やすし)とは、1907(明治40)年5月6日 - 1991(平成3)年1月29日、日本の小説家。文化勲章受章。
1907(明治40)年、5月、石狩国上川郡旭川町(現・旭川市春光6条4丁目)の師団官舎で、軍医・井上隼雄と八重の長男として生まれる。
1908(明治41)年、父が韓国に従軍したので母の郷里・静岡県田方郡上狩野村湯ケ島(現・伊豆市湯ヶ島)へ移る。
1912(大正元)年、両親と離れ湯ヶ島で祖母かのに育てられる。
1920(大正9)年、祖母・かの死去。家族の住む浜松に移り、浜松師範附属尋常高等小学校に転校。
1921(大正10)年、静岡県立浜松中学校(現・静岡県立浜松北高等学校)に首席で入学。
1922(大正11)年、静岡県立沼津中学校(現・静岡県立沼津東高等学校)に転入。親戚の家などに下宿する。
1926(大正15)年、沼津中学校卒業。
1927(昭和2)年、石川県金沢市の第四高等学校(現・金沢大学)理科に入学。柔道部に入る。
1929(昭和4)年、文学活動を本格化させ、「日本海詩人」「焔」「北冠」などに詩を発表。
1930(昭和5)年、第四高等学校理科を卒業。井上泰のペンネームで北陸四県の詩人が拠った誌雑誌『日本海詩人』に投稿、詩作活動に入る。九州帝国大学(現・九州大学)法文学部英文科へ入学するが、3か月ほどで退学。
1932(昭和7)年、京都帝国大学(現・京都大学)文学部哲学科に入学。このころから懸賞小説に連続して入選。
1935(昭和10)年、京都帝大教授となる。足立文太郎の長女ふみと結婚。
1936(昭和11)年、京都帝大卒業。「サンデー毎日」の懸賞小説「流転」により第1回千葉亀雄受賞。それが縁で毎日新聞大阪本社へ入社。学芸部に配属される。
1937(昭和12)年、日中戦争のため軍隊に召集(名古屋野砲兵第3連隊)され、中国の北部各地に駐屯。
1938(昭和13)年、病気のため除隊となり、大阪毎日新聞社学芸部へ復帰する。
1945(昭和20)年、終戦の日に「玉音ラジオに拝して」の記事を書く。
1949(昭和24)年、「猟銃」「闘牛」を「文学界」に発表。
1950(昭和25)年、「闘牛」で第22回芥川賞を受賞。
1951(昭和26)年、毎日新聞社を退社。作家としての活動に専念する。
1954(昭和29)年、「魔の季節」を「サンデー毎日」に連載。
1955(昭和30)年、7月12日講演のため旭川を訪れる。短編「姨捨」発表。
1958(昭和33)年、「天平の甍」により第8回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1960(昭和35)年、「私の自己形成史」を「日本」に連載。「敦煌」「楼蘭」により第1回毎日芸術賞(大賞)を受賞。5月31日講演のため旭川を訪れる。
1964(昭和39)年、日本芸術院会員となる。「風濤」により第15回読売文学賞を受賞。
1969(昭和44)年、「おろしや国酔夢譚」により新潮社の第1回日本文学大賞を受賞。日本文芸家協会理事長に就任。
1973(昭和48)年、西域の各国(イラン・イラク・トルコなど)を訪問。
1976(昭和51)年、文化勲章受章。
1979(昭和54)年、11月14日、講演のため旭川を訪れる。
1980(昭和55)年、NHKシルクロード取材班とともに中国を訪問。日中文化交流協会会長に就任。NHKシルクロード取材班とともに第28回菊池寛賞を受賞。
1981(昭和56)年、シルクロードの取材で第32回NHK放送文化賞を受賞。
1982(昭和57)年以降、世界平和アピール七人委員会の委員を務める。「本覚坊遺文」により新潮社の第14回日本文学大賞を受賞。
1984(昭和59)年、国際ペンクラブ副会長に就任。
1986(昭和61)年、中国・北京に招かれ、北京大学名誉博士号を受ける。
1989(平成元)年、「孔子」により第42回野間文芸賞を受賞。
1990(平成 2)年、9月18日から21日まで、井上靖文学碑の除幕式等に出席のため旭川を訪れる。
1991(平成3)年、死去。勲一等旭日大綬章が贈られる。

国道40号線とは、旭川市から稚内市へ至る一般国道で、総距離は295.2km。

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