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南極観測樺太犬記念碑・樺太犬供養塔

住所 稚内市ヤムワッカナイ

稚内観光協会

稚内の由来は、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ、「冷たい水の流れる沢」という意味である。
道道254号抜海港線の中央2丁目交差点から約750mほどの交差点に稚内公園入口の看板があるので左折し約750mほどの一方通行路を右折し約250mほど。

映画「南極物語」で有名な樺太犬のタロとジロに関する記念碑である。
南極観測樺太犬記念碑は、1960(昭和35)年7月3日に建立。上には樺太犬のブロンズ像がある。
この台座には南極で採取した白い石が埋め込まれているそうで、ジロをモデルにしているという。

樺太犬供養塔は、1961(昭和36)年10月1日に建立。三角錐の形状が特徴的。三角のケルンには秩父硬石が張られている。
この碑は、稚内公園が犬ぞりの訓練地だったことを記念し、樺太犬の多大なる功績を讃え建立されたものである。


南極観測樺太犬訓練記念碑
 昭和32年、国際地球観測年を機に、日本が初めて
南極観測に参加するにあたって、極地での物資輸送
を目的に”犬ぞり隊”が編成されました。
この”犬ぞり隊”の主役が、稚内周辺から集められた
樺太犬たちです。
南極へ出発する前に、”犬ぞり隊”は稚内公園で8ヶ月
間、厳しい訓練を受け、その中から選び抜かれた22
頭の樺太犬は、南極観測船「宗谷」で白い大陸に
渡り、任務をまっとうしました。
 しかし、南極の悪天候を克服できず、樺太犬15頭が
現地に置き去りにされて死ぬという悲劇を被りました。
そして、昭和34年1月、第3次越冬隊がタロ・ジロの
奇跡的な生存を確認し、当時世界の人々を感動させた
ことは今日でもよく知られています。

1956(昭和31)年、3月日本が初めて南極観測に参加するとき、40頭ほどの樺太犬が集められ、ここ稚内公園に樺太犬訓練所が設置され、犬ぞり訓練を開始する。
1956(昭和31)年、11月第1次南極観測隊隊員が(22頭の樺太犬、タロ・ジロを含む)東京湾より南極観測船「宗谷」で南極へ出発する。
1957(昭和32)年、1月昭和基地に到着すると、19頭の犬たちは第1次越冬隊において犬ぞり曳きなどに使役された。2月15日病気や怪我による3頭を宗谷にて帰国させる。越冬中に2頭が病死、1頭が行方不明となったが、また雌のシロ子はジロなどとの間に10頭の仔を産んだが2頭死亡。
1958(昭和33)年、2月宗谷が南極付近に到着、昭和基地にいる第1次隊員と入れ替わる第2次越冬隊を乗せていた。しかし、悪天候から宗谷は昭和基地には到着できず、越冬隊の収容は困難を極め、急変する気象に人命の危険を感じ、第2次越冬隊の派遣は断念され遂にタロ・ジロを含め15頭の樺太犬は南極基地に置き去りとなったのは2月24日。シロ子と生まれたばかりの子犬8頭は宗谷に収容され、日本へ帰還することができた。7月には大阪府堺市に15頭を供養する、樺太犬慰霊像が建立され、南極越冬隊員らが参列して盛大な供養が営まれた。
1959(昭和34)年、1月第3次越冬隊が昭和基地に2頭の犬が生存していることを確認しタロ・ジロであることがわかった。基地には7頭の犬が首輪に繋がれたまま死亡、他の6頭は行方不明。タロとジロの生還は日本中に衝撃と感動とをもたらし、元飼い主に沢山の祝電が届いたという。
1960(昭和35)年、1月第4次越冬隊に11頭の樺太犬が参加することとなり樺太犬15頭となる。7月稚内公園頂上に「樺太犬訓練記念碑」建立。7月第4次越冬中にジロが昭和基地で病死。
1961(昭和36)年、5月タロは第4次越冬隊と共に日本に帰国。他の樺太犬14頭も帰国、飼い主や樺太保存協会に移管する。10月南極観測に参加した樺太犬の霊を慰めるために稚内公園上に、「南極地域学術観測隊樺太犬供養塔」が完成し除幕される。
1970年(昭和45)年、8月タロ、老衰のため14歳7か月で死去。北海道大学植物園で剥製として展示され、ジロの剥製は東京・上野の国立科学博物館に置かれている。

また南極物語に出演した、タロ(ジロ)が最後まで暮らした場所が稚内市にある。
動物ふれあいランド
住所 稚内市稚内空港公園
TEL 0162-26-2565
開設期間 4月29日〜9月30日
営業時間 11時〜16時  日・祝日 10時〜16時
定休日 毎週月曜日(月曜日が休日の場合火曜休園)
入園料 無料
駐車場 無料
この敷地内の片隅には二匹のお墓もあり、この墓の裏は水芭蕉の群生地となっており、5月初旬には真っ白な水芭蕉の花に取り囲まれたお墓を見ることができるのである。
他にも、アヒル・うさぎ・にわとり・七面鳥・モルモット・ヤギなどがいる。

1820(文政3)年、アメリカのナタナエル・パーマーが南極大陸の最初の発見とされている。
1840(天保11)年、フランスのデュモン・デュルビルが南磁極の発見と南極周辺の測量をする。
1898(明治31)年、 イギリスのカールステン・ボーヒグルビングがアデア岬で初越冬する。
1911(明治44)年、12月14日ノルウェーのルーアル・アムンセンが南極点到達。
1912(大正元)年、1月17日イギリスのロバート・フォルコン・スコットが南極点到達。化石の標本採集。コウテイペンギンなどの調査。
1912(大正元)年、1月28日白瀬矗(しらせのぶ)、南緯80度5分に達し、付近一帯を大和雪原と命名する。
1928(昭和3)年、11月16日イギリスのジョージ・ヒューバート・ウィルキンズが南極初飛行する。
1929(昭和4)年、11月29日アメリカのリチャード・バードが南極点へ初飛行。
1948(昭和23)年、アメリカのフィン・ロンネ夫人(女性の南極初越冬)犬ゾリ旅行で調査。
1955(昭和30)年、 11月南極観測への参加を閣議決定。文部省内に南極地域観測統合推進本部を設置。海上保安庁灯台補給船「宗谷」の改造使用を決定。
1956(昭和31)年、3月20日稚内公園に樺太犬訓練所、犬ぞり訓練開始。長野県乗鞍岳で南極観測隊の予備訓練開始。
1956(昭和31)年、11月8日「宗谷」東京港晴海ふ頭出港、第1次観測隊(永田武隊長以下53名)、稚内より樺太犬22頭参加。
1957(昭和32)年、2月11日無線棟・居住棟・発電棟が完成、日本との初無線通信。
1958(昭和33)年、2月10日第1次越冬隊員(11名)と樺太犬6頭を「宗谷」に収容。2月24日悪天候のため第2次越冬を断念、樺太犬15頭の放棄。
1959(昭和34)年、1月9日第3次観測隊の偵察ヘリコプターから黒い犬らしきを発見。1月14日タロ・ジロの生存を確認、基地の再開。12月ワシントンで南極条約に調印(12カ国参加)。
1960(昭和35)年、7月3日稚内市で「樺太犬訓練記念碑」除幕式を挙行。7月9日樺太犬ジロ基地で死亡。
1961(昭和36)年、樺太犬タロほか14頭、北海道大学植物園に空輸。6月24日南極条約公布。10月1日稚内市で「南極地域学術観測隊樺太犬供養塔」除幕式挙行。
1962(昭和37)年、2月8日基地完全閉鎖。
1963(昭和38)年、8月南極観測再開を閣議決定。
1965(昭和40)年、1月木崎甲子郎・松田達郎、ミールヌイ基地(旧ソ連)経由で昭和基地を視察。
1968(昭和43)年、12月19日南極点到達(総行程5182km、日本隊が史上9番目を記録)。
1972(昭和47)年、2月第13次隊が大陸氷の深層ボーリング調査。
1974(昭和49)年、2月第15次隊がやまと山脈で663個の隕石発見。
1975(昭和50)年、2月基地北西にコウテイペンギンの営巣地発見。
1979(昭和54)年、第20次隊がやまと山脈で約3千個の隕石発見。
1982(昭和57)年、第23次隊が昭和基地で最低気温-45.3度を記録。
1983(昭和58)年、第24次隊がみずほ基地で中層ボーリング開始。
1984(昭和59)年、「しらせ」南極へ接岸。第25次隊がみずほ基地で700.63mまでの中層ボーリングに成功。
1985(昭和60)年、第26次隊がみずほ基地で-61.9度を記録。
1989(平成元)年、第30次隊が昭和基地に直径11mの多目的アンテナ完成。
1993(平成5)年、第34次隊が昭和基地管理棟完成させる。
1996(平成8)年、第37次隊がドームふじ観測拠点の深層ボーリング2500mを突破。
1998(平成10)年、第39次隊、日本隊ではじめての女性越冬隊員2名参加。
2000(平成12)年、第41次隊がやまと山脈周辺で3500個の隕石採取。
2001(平成13)年、1992(平成4)年から行っていた昭和基地の整備が終了。
2007(平成19)年、第48次隊がドームふじ観測拠点氷床コア掘削3035mで終了。
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