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豊岩遺跡群

住所 稚内市大字宗谷村

稚内観光協会

稚内の由来は、アイヌ語のヤム・ワッカ・ナイ、「冷たい水の流れる沢」という意味である。
宗谷の由来は、アイヌ語の「シヨウヤ」(海獣の止まる磯の丘)この磯の丘にアイヌコタンがあったことから地名にした。他にも、宗谷岬の北にある弁天島は「ソーヤシュマ」(岩礁の海岸にある島)と呼ばれていた。また、「ソ(ショ)・ヤ」(岩礁の多い海岸)と呼び、これらが「ソーヤ」の由来とされている。現在の宗谷は「ウエン・トマリ」(悪い・入り江)というところで、うっかり舟を入れると岩礁で舟を壊すところだった。
国道238号線沿いにあり、宗谷岬から猿払方向に約4.3km右手。

縄文時代からオホーツク文化擦文文化にかけての各時代の遺跡が10ヶ所あるそうだ。
その中でも豊岩5遺跡は、縄文時代中期の北筒式土器を出土するキャンプサイト的な小規模な遺跡で、豊岩7遺跡は、オホーツク文化期の魚骨ブロックや焼土等が発見され、土器と共に鳥管骨の針入れ(針入れは細身で針一本分ほど入るもの。オホーツク文化での遺物として、ほとんどの遺跡で出土している)入った鉄製針、骨角器、玉類等が出土したいわゆる「融合様式」であったと思われている。

案内板
豊岩遺跡群
豊岩遺跡群は日本最北端の宗谷岬からオホーツク海沿いの南方約3.5kmに所在しています。この付近では10ヶ所の遺跡が確認されており、縄文時代から
擦文文化期といった長い期間にわたって、これらの遺跡が営まれていたことが明らかになっています。
1985年(昭和60)年には、稚内市教育委員会が主体となり、上知志矢川河口部に位置する豊岩5遺跡と、上知志矢川上流の豊岩7遺跡の発掘調査が実施され
ています。豊岩5遺跡の発掘調査からは縄文時代早期(約10.000〜7.000年前)および中期(約5.000〜4.000年前)の土器や石器が、焼土を中心として出土しており、
キャンプサイト的な小規模な遺跡であったと考えられています。
豊岩7遺跡からは、縄文、続縄文、擦文、オホーツク式土器といった4つの時代の土器が出土しています。特にオホーツク文化期(約1.600〜1.200年前)におい
ては、同文化期の魚骨ブロックや焼土が確認されているほか、土器と共に骨角器、玉類等が出土しています。
稚内市教育委員会

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