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北邦野草園

住所 上川郡鷹栖町嵐山
開園期間 4月下旬〜10月中旬の予定
時間 9時〜16時30分(入園は16時まで)
休園日 毎週月曜日(ただし月曜日が祝日の場合は火曜日)入園料は無料。

財団法人旭川市公園緑地協会

鷹栖町の由来は、アイヌ語で「チカプニ」(大鳥が棲むところ)と呼ばれていたのを意訳したもので、トンビ、ハイタカやオオタカなどの大きな鳥が生息していたことから名がついた。
国道12号線の近文町25丁目・旭岡3丁目交差点から山の方へ向い約1kmほど。
上川郡鷹栖町にある植物園で、鷹栖町域にあるが、運営管理は旭川市が行っている。
嵐山公園内にあり、北方系植物の野草園としては国内最大の規模を誇り、面積は12.25ha、散策路は全長5.2キロメートルあり、約600種の動植物が生息し、広大な園内は起伏にとみ、地質学的にも大変貴重な環境が残されていて、早春から晩秋まで美しい草花を観賞できる。
1972(昭和47)年5月に旭川営林局が市民の散策や交流、営林局職員の研修を目的に計画、国有地に開設したのが始まり。
1998(平成10)年4月に旭川市の所管となり、2006(平成18)年には嵐山公園センターが新設された。


オサラッペ川に架かる橋を渡ると、右手に北邦野草園・嵐山公園センターの建物が見えてくる。


センター内では嵐山公園の自然やアイヌの民俗・生活道具などを紹介していて、入場は無料。
北邦野草園の入口付近にはアイヌ文化の森・伝承のコタンがあり、アイヌの住居「チセ」や便所などを復元・展示してある。

松井梅太郎の碑
アイヌの熊彫に貢献した功績を讃えて、1962(昭和37)年7月に建てられたものである。
「アイヌ木彫熊の開祖、松井梅太郎氏は、大正末期の頃から木彫熊の創作を始め、1949(昭和24)年2月15日・49歳で他界するまで20有余年に亘り、研鑽努力を重ね卓越せる技能を以て本道木彫の振興発展と後進の指導育成に盡力した偉大な先人であります。その功績は、永遠に不滅です。」(顕彰碑の由来から)


園内には、総延長約5.2kmにもおよぶ遊歩道があり、主な遊歩道は3コース(30分、1時間、2時間)に分かれ、森林浴、動植物、野鳥等観察など目的や体力に合わせて選ぶことができ、初心者でも安心して散策が出来るようになっている。



早春には、カタクリ、エゾエンゴサクの大群落が見られ多くの人で賑わう。
フクジュソウ、シラネアオイ、サクラソウ、スズラン等も群落状にあり、綺麗な花々が次々と咲いてくれるのは見事である。
この地区一帯は、鳥獣保護区になっていて、針葉樹の少ない豊かな広葉樹林には、アカゲラ等のキツツキ類、シジュウカラ、ウグイス、オオルリ、など数々の野鳥が生息しています。
もう一つ忘れてはいけないのは、エゾリスです。ごく稀に散策路を横切ることもあり、かわいい姿を見ることができます。

松井梅太郎とは、1901(明治34)年 - 1949(昭和24)年2月15日、熊撃ち名人、アイヌ木彫熊の先駆者。
近文で生まれた。幌加内山中でアナグマに襲われ、35ヶ所もの傷を負いつつも、熊を仕留めて生還したという逸話も残っているそうだ。
1925(大正14)年、24歳の時、大きな熊を撃ち逃し、深手を追いつつも生還し、その頃から木彫り熊を彫るようになったそうだ。
彫る熊は、吼える熊、襲いかかる熊、怒る熊と、買った人は魔よけとして床の間に飾ったと言われている。

国道12号線とは、札幌市から旭川市へ至る一般国道で、総距離は156.8km。

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