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アイヌ文化の森・伝承のコタン

住所 上川郡鷹栖町字近文9線西4号

鷹栖町

一般社団法人 旭川観光コンベンション協会

上川の由来は、アイヌ語の「ペニ・ウングル・コタン」(川上の人々の集落)を意訳したもの。
鷹栖の由来は、アイヌ語「チカップニ」(大きな鳥(鷹)の棲むところ(巣))、未開の地だった頃、トンビ・オオタカなどの大きな鳥が生息し、大空を沢山の鳥が舞っていたといわれ、その光景をみた人らが呼ぶようになったといい、意訳され「鷹栖」となった。
近文の由来は、アイヌ語の「チカップニ」(鳥・いる所)鹿さえもつかんで飛ぶことができた大きな鳥が、嵐山の石狩川沿いの崖にいたという伝承があり、そこから石狩川右岸は広くチカプニと呼ばれるようになった。近文はこれを音訳したもので、鷹栖はこれを意訳したものである。
国道12号線(旭川新道)と道道1124号近文停車場緑町線の旭町4丁目交差点から坂を約280mほどを左折し、道なりに約1kmほど。案内看板があるので迷うことはない)

旭川市の嵐山公園内(北邦野草園に併設)に、アイヌ文化の保存と伝承のためコタンを復元した博物館で、「嵐山公園センター」が、2006(平成18)年4月にオープン。
実際にアイヌの人々が住んでいた、チセ(住居)やプー(食料庫)などが正確に復元され、自然と一体となった当時の暮らしを連想させる。
屋根、壁は笹葺きで出来ていて、使用する笹は一冬越したものを採取するなど、材料を吟味し作成しているそうだ。
ちなみに、当時この笹葺き作業は女性が主役で、男性は笹の運び役を担っていた。
アイヌの人々の建物がこの場所に復元されたのは、上川アイヌの人々が、近文山・嵐山の一帯を「チ・ノミ・シリ」ci-nomi-sir(我ら・祈る・山)と呼び、聖なる地として大切に守られていたこと、コタン(集落)を川側に営んでいたことなどに基づいており、当時の生活の一部を垣間見ることができる。


碑文の訳の抜粋です。
明治2年、蝦夷地を北海道としアイヌの人々を「平民」として戸籍を作成し国家に編入する一方で「旧土人」と呼び差別。 開拓使を置きアイヌ民族の言語や生活習慣を禁じ和風化を強制する政策を取り始めた頃、兵部省石狩役所は「上川アイヌ全員は石狩浜に集団移住せよ」と一方的に通告しました。 自然と共に平和に暮らしていた上川アイヌの重鎮クーチンコロは同年12月3名の供を連れ雪を踏み分け石狩に出向き談判した結果、石狩浜集団強制移住は撤回となったのでした。
この碑はアイヌ人の誇りを持って生きたクーチンコロを讃え建てられました。
1974(昭和49)年12月建立。

国道12号線とは、札幌市から旭川市へ至る一般国道で、総距離は156.8km。

道道1124号近文停車場緑町線とは、旭川市内を結ぶ一般道道で、総距離は0.7km。
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