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稚内市青少年科学館

住所 稚内市 ノシャップ 2-2-16
TEL 0162-22-5100
開館時間 夏期間、4月29日〜10月31日、 9時〜17時(入館は16時40分まで)
     冬期間、11月1日〜11月30日、2月1日〜3月31日、10時から16時(入館は15時40分まで)
休館日 4月1日から28日、12月1日から翌年1月31日、2月・3月は毎週火曜日
料金 水族館・科学館共通、小中学生100円、高校生以上500円

稚内市青少年科学館

稚内観光協会

稚内の由来は、アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」(冷たい水の川・沢)に由来する。
ノシャップの由来は、アイヌ語で「ノッ・シャム」(岬が顎のように突き出たところ・波のくだける場所)。
道道254号抜海港線のノシャップ2丁目交差点から側道を海方向へ約400mほど。

稚内市立ノシャップ寒流水族館の隣に稚内市青少年科学館がある。こちらも1974(昭和49)年開館とレトロな施設だ。


この施設の目玉は昭和30年代に行われた南極探検をメインとした展示。
初期の南極観測隊が活躍した資料の展示(雪上車、居住棟、防寒着類など250点)、日本の南極観測に貢献した樺太犬タロ・ジロを中心とした南極関係の南極展示コーナーがある。
タロ・ジロをはじめとする樺太犬の訓練は稚内で行われたそうだ。
宗谷・ふじ・しらせの模型、プラネタリウム、見て触れて体験できる科学展示体験コーナーなどがある。(影遊び、ボードこぎ競争、パソコンなど31点)
ちなみに南極観測船「宗谷」の実物は、船の科学館に展示されている。
野寒布岬稚内灯台おみやげ・お食事処 みなとやなどもある。


樺太犬タロ・ジロとは、1956(昭和31)年11月、第1次南極観測隊隊員が(22頭の樺太犬、タロ・ジロを含む)東京湾より南極観測船「宗谷」で南極へ出発する。
1957(昭和32)年、1月昭和基地に到着すると、19頭の犬たちは第1次越冬隊において犬ぞり曳きなどに使役された。
同年、2月15日病気や怪我による3頭を宗谷にて帰国させる。
越冬中に2頭が病死、1頭が行方不明となったが、また雌のシロ子はジロなどとの間に10頭の仔を産んだが2頭死亡。
1958(昭和33)年、2月宗谷が南極付近に到着、昭和基地にいる第1次隊員と入れ替わる第2次越冬隊を乗せていた。
しかし、悪天候から宗谷は昭和基地には到着できず、越冬隊の収容は困難を極め、急変する気象に人命の危険を感じ、第2次越冬隊の派遣は断念され遂にタロ・ジロを含め15頭の樺太犬は南極基地に置き去りとなったのは2月24日。
シロ子と生まれたばかりの子犬8頭は宗谷に収容され、日本へ帰還することができた。
7月には大阪府堺市に15頭を供養する、樺太犬慰霊像が建立され、南極越冬隊員らが参列して盛大な供養が営まれた。
1959(昭和34)年1月14日、第3次越冬隊が昭和基地に2頭の犬が生存していることを確認しタロ・ジロであることがわかった。
基地には7頭の犬が首輪に繋がれたまま死亡、他の6頭は行方不明。
タロとジロの生還は日本中に衝撃と感動とをもたらし、元飼い主に沢山の祝電が届いたという。
1960(昭和35)年、1月第4次越冬隊に11頭の樺太犬が参加することとなり樺太犬15頭となる。
同年7月3日、稚内公園頂上に「樺太犬訓練記念碑」建立。
同年7月9日、第4次越冬中にジロが昭和基地で病死。
1961(昭和36)年、5月4日タロは第4次越冬隊と共に日本に帰国。他の樺太犬14頭も帰国、飼い主や樺太保存協会に移管する。
同年10月1日南極観測に参加した樺太犬の霊を慰めるために稚内公園上に、「南極地域学術観測隊樺太犬供養塔」が完成し除幕される。
1970年(昭和45年)8月11日にタロ、老衰のため14歳7か月で死去。北海道大学植物園で剥製として展示されている。
ジロの剥製は東京・上野の国立科学博物館に置かれている。

1820(文政3)年、アメリカのナタナエル・パーマーが南極大陸の最初の発見とされている。
1840(天保11)年、フランスのデュモン・デュルビルが南磁極の発見と南極周辺の測量をする。
1898(明治31)年、 イギリスのカールステン・ボーヒグルビングがアデア岬で初越冬する。
1911(明治44)年、12月14日ノルウェーのルーアル・アムンセンが南極点到達。
1912(大正元)年、1月17日イギリスのロバート・フォルコン・スコットが南極点到達。化石の標本採集。コウテイペンギンなどの調査。
1912(大正元)年、1月28日白瀬矗(しらせのぶ)、南緯80度5分に達し、付近一帯を大和雪原と命名する。
1928(昭和3)年、11月16日イギリスのジョージ・ヒューバート・ウィルキンズが南極初飛行する。
1929(昭和4)年、11月29日アメリカのリチャード・バードが南極点へ初飛行。
1948(昭和23)年、アメリカのフィン・ロンネ夫人(女性の南極初越冬)犬ゾリ旅行で調査。
1955(昭和30)年、 11月南極観測への参加を閣議決定。文部省内に南極地域観測統合推進本部を設置。海上保安庁灯台補給船「宗谷」の改造使用を決定。
1956(昭和31)年、3月20日稚内公園に樺太犬訓練所、犬ぞり訓練開始。長野県乗鞍岳で南極観測隊の予備訓練開始。
1956(昭和31)年、11月8日「宗谷」東京港晴海ふ頭出港、第1次観測隊(永田武隊長以下53名)、稚内より樺太犬22頭参加。
1957(昭和32)年、2月11日無線棟・居住棟・発電棟が完成、日本との初無線通信。
1958(昭和33)年、2月10日第1次越冬隊員(11名)と樺太犬6頭を「宗谷」に収容。2月24日悪天候のため第2次越冬を断念、樺太犬15頭の放棄。
1959(昭和34)年、1月9日第3次観測隊の偵察ヘリコプターから黒い犬らしきを発見。1月14日タロ・ジロの生存を確認、基地の再開。12月ワシントンで南極条約に調印(12カ国参加)。
1960(昭和35)年、7月3日稚内市で「樺太犬訓練記念碑」除幕式を挙行。7月9日樺太犬ジロ基地で死亡。
1961(昭和36)年、樺太犬タロほか14頭、北海道大学植物園に空輸。6月24日南極条約公布。10月1日稚内市で「南極地域学術観測隊樺太犬供養塔」除幕式挙行。
1962(昭和37)年、2月8日基地完全閉鎖。
1963(昭和38)年、8月南極観測再開を閣議決定。
1965(昭和40)年、1月木崎甲子郎・松田達郎、ミールヌイ基地(旧ソ連)経由で昭和基地を視察。
1968(昭和43)年、12月19日南極点到達(総行程5182km、日本隊が史上9番目を記録)。
1972(昭和47)年、2月第13次隊が大陸氷の深層ボーリング調査。
1974(昭和49)年、2月第15次隊がやまと山脈で663個の隕石発見。
1975(昭和50)年、2月基地北西にコウテイペンギンの営巣地発見。
1979(昭和54)年、第20次隊がやまと山脈で約3千個の隕石発見。
1982(昭和57)年、第23次隊が昭和基地で最低気温-45.3度を記録。
1983(昭和58)年、第24次隊がみずほ基地で中層ボーリング開始。
1984(昭和59)年、「しらせ」南極へ接岸。第25次隊がみずほ基地で700.63mまでの中層ボーリングに成功。
1985(昭和60)年、第26次隊がみずほ基地で-61.9度を記録。
1989(平成元)年、第30次隊が昭和基地に直径11mの多目的アンテナ完成。
1993(平成5)年、第34次隊が昭和基地管理棟完成させる。
1996(平成8)年、第37次隊がドームふじ観測拠点の深層ボーリング2500mを突破。
1998(平成10)年、第39次隊、日本隊ではじめての女性越冬隊員2名参加。
2000(平成12)年、第41次隊がやまと山脈周辺で3500個の隕石採取。
2001(平成13)年、1992(平成4)年から行っていた昭和基地の整備が終了。
2007(平成19)年、第48次隊がドームふじ観測拠点氷床コア掘削3035mで終了。
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